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新改革通信(43号まで)


[9]TITLE:新改革通信 52号  2006/4/27   
name:管理人


新改革通信 52号 平成18年4月27日発行   

「開宣大法要」は、「日顕宗」立宗の宣言。日顕は慢心を起こして狂い、早瀬日如は臆病から日顕に追従した。

明日、四月二十八日は日蓮大聖人が、七五三年前の建長五年(一二五三)に立宗を宣言された日である。我々同盟員はこの意義深き日を迎えるにあたり、慢心に狂った日顕と日顕に盲従する早瀬らを今一度破折する。これこそ、宗祖の御恩に報いる道であると我々は信じている。
 
日顕は平成十四年、宗旨建立七百五十年の記念法要として、三月二十八日に「開宣大法要」を行った。その際、日顕は過去の宗門において四月二十八日のみに宗旨建立会を行ってきたことについて次のように述べている。

「我が宗門では、他門の如く宗旨建立の意義を四月の一辺倒とする考えとは異なり、『日蓮正宗要義』ならびに『日蓮大聖人正伝』等において、三月二十八日は大聖人様の御内証の上から宗旨建立の意義を述べております。しかしながら具体的な説法は四月二十八日に行われたという記述をしてまいりました。これらのことも、やはり宗門で明治以降長く使用していた他門の『縮冊御遺文』や『御書全集』が「三月」の御書のすべてを「四月」に改変したことに、少なからず影響を受けていたことを改めて感ずるものであります」(大白法 平成十四年四月十六日号)

日顕は「我が宗門では、他門の如く宗旨建立の意義を四月の一辺倒とする考えとは異なり」などといかにも過去の宗門の歴史について述べているような言い方をしているが、この中に出てくる『日蓮正宗要義』と『日蓮大聖人正伝』は日顕の著作である。すなわち、この「我が宗門」とは日顕のことであり、日顕は露骨に自説を褒め称え、四月二十八日に法要を行ってきた先師日達法主を批判している。そして、「『御書全集』が「三月」の御書のすべてを「四月」に改変した」と『御書全集』の編纂にかかわった五十九世日亨法主をも批判しているのだ。これは、明らかに日蓮正宗そのものを批判していることに他ならず、この日顕の発言はまさに「日顕宗」の立宗を宣言したものである。

これこそ、〃自分は誰よりも偉大である〃という慢心から狂った日顕の象徴的な姿である。日顕は創価学会と和合して宗門を未曾有の発展に導いた日達法主と、近代の大学匠であった日亨法主に異常ともいえる敵愾心を持っているが、これはコンプレックスの裏返しだ。日顕は何の功績も無く、誰からも自分の教学を認められないという劣等感から逃れるため、正本堂などの日達法主の功績を悉く破壊し、「平成新編日蓮大聖人御書」を作り上げた。この日顕の行為はまさに先師の恩を踏みにじる許しがたいものである。
 
 忘恩の日顕こそ師敵対の第六天の魔王
 
日蓮大聖人は『開目抄』に「仏法を学せん人・知恩報恩なかるべしや、仏弟子は必ず四恩をしつて知恩報恩をいたすべし」(御書全集一九二頁)と仰せである。大聖人が立宗を宣言される場所として清澄寺を選ばれたのは、師の道善房に対して正法を説き、師の恩に報いるためである。また、同時に大聖人は、一切衆生を救済するために破邪顕正の大折伏の先陣を切られた。
 釈尊は「後の五百歳の中に、閻浮提に広宣流布して」(薬王品)と予言した。それは釈尊の大願でもあった。そして、大聖人は「今日蓮が唱うる所の南無妙法蓮華経は末法一万年の衆生まで成仏せしむるなり」(御書全集七二〇頁)と宣言された。これは大聖人の誓願であるが、門下一同の誓願でもあったはずだ。しかし、大聖人滅後、この誓願を果たした者は一体、誰であったか。それは、創価学会の三代会長にほかならない。

戦時中に軍部の権力に屈した宗門は、初代牧口先生らに神札を受けるように迫った。しかし牧口先生はそれを拒絶し、正法護持の道を貫いた。その結果、牧口先生ら幹部一同は投獄され、牧口先生は獄死し、生きて出獄した第二代会長・戸田先生が創価学会を再建し、七十五万世帯というかつてない大折伏を達成された。そして、第三代会長・池田先生も投獄という権力からの迫害を歯牙にもかけず、世界広宣流布という未曾有の折伏を行じ、釈尊と大聖人の誓願を実現されたのである。

その池田名誉会長を日顕は「C作戦」という謀略で切り捨てようとした。大聖人の誓願を体現された池田名誉会長を切り捨てることは、恩を重んぜられた大聖人に違背するだけでなく、大聖人の誓願を破る師敵対の蛮行である。

我々が改革同盟を結成し、日顕に退座を求めたのは、そうしなければ我々も与同罪になり、大聖人に違背することになるからだ。また、それが創価学会の三代会長に対する報恩の道であると信じているからだ。三代会長の死身弘法の戦いがなければ今の宗門はなく、我々が僧として存在することもなかったはずである。その恩に報いることは人間として当然の行為である。
 
では、早瀬日如はどうか。今年も三月二十八日に御影堂で「開宣法要」が行われた。これは早瀬が〃自分は日顕宗二祖である〃と内外に宣言したことを意味する。早瀬は、八木総監や阿部信彰庶務部長ら「阿部ファミリー体制」の傀儡でしかない。早瀬には阿部ファミリーに歯向かう勇気などなく、臆病風に吹かれて、傀儡であると知りつつも自ら日顕宗二祖の道を選んだのだ。

早瀬日如は大願寺住職時代に、宗門の誰よりも創価学会の世話になっている。池田名誉会長に一番、恩返しをしなければならないのは早瀬であろう。しかし、早瀬も日顕と同じように「C作戦」に加担し、恩を仇で返す行為に出た。早瀬は第六天の魔王・日顕の眷属となり果てて、今また、日顕宗二祖として魔の血脈を受け継いだのだった。

我々改革同盟員は、これからも日顕・日如の悪行を破折し、日顕宗の邪義を責め続け、大聖人の破邪顕正の誓願を受け継いでいくことを、ここに宣言するものである。(編集部)

[8]TITLE:新改革通信 51号  2006/4/4   
name:管理人


新改革通信 51号 平成十八年四月四日発行

盛んに自己アピールをする、見苦しい日顕の哀れな姿。「座替法要」が済めば、所詮、日顕はただの"お払い箱"

法華講の春季総登山が三月二十五、二十六日の両日にわたって行われた。初日は午後一時の御開扉のあとに大書院で講頭会が開かれた。その席で早瀬日如と宗務院の役僧らは、約二時間にもわたって「地涌倍増」を訴えたが、誰もが無理とわかっている。実際に「地涌倍増」どころか、今年は昨年より登山者が減少しているのだ。そのせいで、昨年は八回行われた御開扉は、今年は七回に削られ、参加者は千人以上、減っている。

日顕は隠居の身なのだから、世田谷でおとなしく政子と茶でも啜っていればいいものを、傲慢な態度で信徒に"ワシのことを忘れるな"とでも言いたいのか、それとも早瀬に圧力をかけるためか、一連の会合に偉そうに、顔を出している。

今、日顕が一番恐れていることは、隠居した日顕を信徒が忘れ去ることだ。だから、日顕は必要以上に、本山に現れて盛んに自己の存在をアピールしている。何とも見苦しい、断末魔の姿かと早瀬一派の住職たちは、嘲笑っているに違いない。

四月六日から「座替法要」が行われる。それが済めば、実質的に早瀬日如が日顕宗のトップとなり、すべての実権を握る。日顕自らが作り上げた「法主信仰」により、隠居した日顕は威光を失い、過去の遺物と化すのだ。

例えば、宗門が作成した「御生骨」の説明文にはこうある。

「日蓮大聖人の御当体たる戒壇の大御本尊様、唯授一人の血脈相承と宗宝の一切を日如上人猊下が御継承あそばされたことを披露し、一切衆生成仏の大白法が御法主日如上人猊下のもとに在しますことを宗の内外に宣せられる」

この宗門の公式見解によると、「一切を日如上人猊下が御継承あそばされた」のだから、日顕にはもう何もないということになる。すなわち、お払い箱だ。

悩乱船長の日顕に舵を取られ、宗門は氷山に激突したタイタニック号のように沈み始めている。早瀬日如は沈没することが分かりきっている日顕宗を押し付けられただけでなく、早瀬家が守って来た法道院も奪われた。その恨みを早瀬日如が忘れるはずがない。果たして、早瀬一派は今後、どうするつもりなのか、見物である。

それにしても哀れなのは法華講員だ。船が沈み始めているのに、"この船に乗っていれば成仏するかと騙されているのだ。しかも、日顕らは信徒から供養を取るだけ取って犠牲にしてでも、自分たちだけは助かろうとしている。その罪は堕地獄必定である。(編集部)

[7]TITLE:新改革通信 50号  2006/3/31   
name:管理人


新改革通信 50号 平成十八年三月三十一日発行

権力にしがみ付く日顕の「誇大妄想」につきあわされ、自滅していく、時代遅れの宗門(下)

信徒を見下した「権威主義」だけに頼っている宗門が衰退していくことは誰の目にも明らかだ。その行く末を暗示しているのが台湾などのアジアの宗門の実態である。

宗門はあたかもアジアで成功しているように機関誌などで報道しているが、その実態は最早、民衆の自立した幸福と広宣流布を目指した大聖人の仏法とはかけ離れたものになっている。アジアで宗門が行っているのは、中国系の人々の先祖崇拝を利用した塔婆供養の奨励である。

たとえば、台湾では信徒が亡くなると位牌を作り、その位牌を寺院に収めさせる。言わば、位牌を人質にするのだ。そして、寺院に参詣して塔婆供養することが信仰であると教えている。ほとんどの信徒は授戒だけで、あとは先祖供養のために毎月、寺院に参詣するだけである。だから、台湾の信徒は信徒数に対して、御本尊下付数が僅かである。広宣流布の活動などない。塔婆で荒稼ぎをするだけだ。このどこが、大聖人の仏法なのか。葬式仏教と変わりは無い。

シンガポールでも日顕宗は塔婆供養を強調しているが、英語教育が発達したシンガポールでは先祖崇拝の文化も徐々に薄れているため、宗門が思っているほど、塔婆供養は浸透していない。それどころか、「先祖崇拝を否定している大聖人の仏法に魅力を感じたのに、今の宗門は先祖崇拝に戻っている」と不満を持っている檀徒もいる。創価学会が進める宗教改革の流れは、時代の流れになりつつある。時代が進めば、民衆はもっと賢明になり、堕落した坊主の権威など通用しなくなる。

坊主の権威を守りたい日顕らにとって、自立した信徒など邪魔者でしかない。彼らに必要なのは、ただ、坊主の言うことだけを聞いて、供養する盲目的な信徒である。

日顕らはインドネシアでも、寺院を作って坊主を駐在させ、信徒を無力化しようとした。目的は信徒の供養を独占するためだ。しかし、インドネシアの檀徒の幹部は、未だに抵抗している。権力と金を手放そうとしない。多額の供養金を坊主と檀徒の幹部で取り合いをしている。

早瀬日如は、二月度の広布唱題会で「平成二十一年の『地涌倍増』と『大結集』を果たすことによって、まず私達自身が変わっていく。私達自身が変われば世間が変わり、それが大きな波動となって必ず世界広布へとつながっていく」と話したが、とんだ御笑い種である。自ら折伏することもなく、時代に逆行した檀家制度の維持に汲々とし、広宣流布とは全く対極に向かっているのだ。自滅は時間の問題である。(終わり)

[6]TITLE:新改革通信 49号  2006/3/30   
name:管理人


新改革通信 第49号 平成十八年三月三十日発行

権力にしがみ付く日顕の「誇大妄想」につきあわされ、自滅してい<、時代遅れの宗門(上)

あまりの腰の痛さに耐えきれず退座してしまった日顕は、今頃になって辞めなければ良かったと残念がっているようだ。退座しても権力を失いたくない日顕は、元旦に自分の弟子を集め「徒弟会」を行った。その席上で、日顕は平成二十一年の信徒倍増について、「ついつい言ってしまったけれど、できるかな?」と口を滑らした。宗門は日顕の言葉を「大聖人の遺命」だと強調してきたが、それが単なる思い付きでしかないことを本人が白状してしまった。

この日顕の発言は、日顕が如何に無責任であるかだけでなく、その言葉を鵜呑みにして、法主を祭り上げてきた宗門の体質そのものを象徴している。宗門の信徒は日顕の思いつきに振り回されているのだから、実に哀れである。

そもそも、日顕がこのような軽はずみな発言をするのは、日顕が誇大妄想に取り憑かれているからだ。「誇大妄想」というのは、現実的な状況から逸脱し、自己を過大評価したり、実際には有りもしない能力があるように思い込んでいる状態である。日顕は自分は絶対的な存在であり、自分が命令すれば、どんなことでも、信徒がやってくれるものと思い込んでいる。

しかし、実際には日顕は信心もなく力もない。日顕は、盗み取った管長の地位により、住職たちをクビにする権限を手に入れた。だから、末寺の住職は「擯斥」という恐怖から面従してきた。そして、信徒たちは、年がら年中、無理な登山と供養で疲れきっている。ところが、賛沢に溺れた日顕にはその現実を見る能力がない。日顕らは、井戸を掘れば無尽蔵に水が出てくるように、信徒がいくらでも供養すると思っているが、最早、今の信徒たちは枯れかかっている井戸だ。

今の宗門を支えているのは高齢者の信徒である。若い世代は極端に少ない。折伏も低迷している。少子高齢化はもう始まっている。今後、宗門の信徒数は減ることはあっても、増えることはない。ただ、今は高齢者のほとんどは、檀家制度の体質に慣れきってしまっているため、無自覚に供養を出し続けている。しかし、それも長くは続かないであろう。殆どが、年金生活者なのだ。

日顕らが一番恐れているのは、信徒が「大聖人の信心に目覚める」ことである。そのため、彼らは「血脈」「御生骨」などの神秘性を盛んに宣伝し、信徒の信仰を坊主に従属させようと必死である。しかし、昨今、坊主のみだらな行為がニュースで報じられることが多くなり、「衣の権威」は失われつつある。

ましてや、創価学会の宗教改革により、目覚めた民衆にはもう、そんな子供騙しは通用しない。(続く)

[5]TITLE:新改革通信 48号  2006/2/15   
name:管理人


新改革通信 48号 平成十八年二月十五日発行

日顕の「ついつい言ってしまったけど、できるかな?」発言が今も尾を引く日顕宗――御聖誕の日に思う

二月十六日は、御本仏日蓮大聖人御聖誕の日であり、大石寺では例年、宗祖誕生会ならびにお塔開きが行われる。

新法主の早瀬にとっては初めての誕生会であり、お塔開きの際には、早瀬の苦手な"お言葉"も述べなければならない。就任以来、「勤行がヘタ」「字が上手くない」などと並んで早瀬の"お言葉"の評判も散々である。新年の行事でも「貫禄不足」「原稿棒読み」など、しらけた感想ばかりが聞かれた。その他いくつもの法華講員の感想の中でも「遠慮がちにお見受けしました」との感想は、宗門の現状を端的に表しているようで面白い。

厳しい寒さの中、老躯に鞭打って出仕した上にまたもや不慣れな挨拶で評判を下げることになるとは、まさに哀れの極みではある。

それでも日顕のように「地涌倍増」などと出来もしない大風呂敷を広げられたり、「ぱっと目が覚めて教学部長という言葉が口から出た」などのオカルトめいた与太話や「妙の字は、若い女の乱れ髪」などのセクハラ話を聞かされるよりは良いと思っている者も多いのではないだろうか。

さて、日顕が早瀬の"お言葉"にどのような感想を抱くかも含めて、十六日は興味津々である。

本年は、承久四年(貞応元年)の御聖誕より七八四年となる。大聖人は、「日蓮生まれし時よりいまに一日片時もこころやすき事はなし。此の法華経の題目を弘めんと思うばかりなり」(御書一五五八)との仰せの通り、忍難弘通の道を断固と歩まれ、後世に広宣流布の大願成就を託し置かれた。

まさかその後世に法主を詐称し、二十六年間もその座を汚すものが現れ、一閻浮提百九十ヶ国に弘通する団体を破門するなど、まさに「題目を弘めん」との御本仏の御精神を踏みにじる天魔の所業以外何ものでもない。その上、自分で、大聖人の「御命」とまで言い放った「信者倍増」について、後になって「ついつい言ってしまったけど、できるかな?」などといい加減さを顕にする姿に、大聖人御生誕の日を寿ぐ資格などないことは明らかである。

一日も早く仏法破壊の日顕を除歴しない限り、宗祖誕生会を行っても「やいとの還って悪瘡となるが如く、薬の還って毒となるが如し」と仰せの通りになることは疑いがない。

「閻浮提内広令流布はよも疑い候はじ」の御金言を誰が実践し現実のものにしたのか、明々白々である。(政)

[4]TITLE:新改革通信 47号  2006/1/20   
name:管理人


新改革通信 47号 平成18年1月20日発行   

妄想に取り憑かれた日顕に食いつぶされる宗門(4)
相承箱の秘密を知る者が日顕に見切りをつける時が必ず来る


昨年十二月十六日に行われた早瀬日如の「座替り式」の記録が『大日蓮』一月号に載っている。そこには「午後二時二分参列者、客殿入場完了」というように、分刻みに進行状況が書かれている。

しかし、『相承』の儀式そのものの記録は一切書かれていない。日淳法主から日達法主への『座替り』の時も同じように『大日蓮』(昭和三十四年十二月号)に報じられているが、そこには『相承』の儀式の記録が厳然と掲載されている。
以下冒頭の一部を引用する。

-------------------------------
十一月十五日午後六時十二分 日淳上人の命により、御相承箱を守護して左記の六名大講堂横より出発。
八木理事補、寂日坊、理境坊、蓮東坊能勢(順)義寛房
先頭車(八木師御相承奉持、理境坊、蓮東坊能勢)
後車(寂日坊、義寛房)

十一時十二分、大田区池上町
猊下御留錫宅に当着
細井総監、高野重役、柿沼庶務、早瀬教学
十一時二十分、猊下(病床)お目通り
細井総監、塔中参上一々の名を言上する、猊下一々うなづき御苦労とのお言葉あり。
而して隠居の旨お仰せ出され、六十六世法主として精道房日達に相承致す旨、挙宗一致宗門興隆に努力せよとのお言葉を賜はる
充分の御奉公も出来得ず大聖人に申訳けなき事乍ら今夜略式ながら相承ある旨仰せらる。
後 相承之事。
------------------------------

どうであろうか。この記録にははっきりと「御相承箱を守護して」と書いてある。ところが、今回の早瀬への相承の記録に、相承箱についての記載はない。

憂宗護法同盟から『相承箱』が日顕の手元にないと暴露され、宗門は狂ったように反論して来た。相承箱は本山にあると、散々喚いたのだから、宗門にとっては今回がそのことを証明する、またとない機会であったはずだ。ところが、日顕らは問題の相承箱に一切触れていない。すなわち、相承箱について触れることができないから、『相承』の儀式の記録を載せないということになる。

一説には、日顕は大宣寺から相承箱を取り戻したとも言われている。しかし、下手に相承箱のことに触れると、後にそのことが問題となるとも考えられる。つまり、相承箱の秘密を知るものが「実は・・・」と真相を語る日が来ることを、日顕は恐れているのだ。しかし、相承箱の秘密が暴かれる時が必ず来る。その時こそ、日顕一族が宗門の歴史から抹殺される日の始まりである。(終わり)

[3]TITLE:新改革通信 46号  2006/1/19   
name:管理人


新改革通信 46号 平成18年1月19日発行   

妄想に取り憑かれた日顕に食いつぶされる宗門(3)
「早瀬になにかあれば、・・・」と期待をしている日顕の取り巻き

日顕が隠居することが決まった時に、日顕の取り巻きの一人である、ある住職は次のように言った。
「次の御法主上人に万が一のことがあっても御隠尊から相承することができるから安心だ」
なるほど、理屈は通っている。しかし、これでは早瀬に何かあることを期待しているような言い方だ。だが、これこそ、日顕の望んでいることである。

もし、早瀬が相承をせずに亡くなることがあれば、日顕は相承を断絶させてはならないという大義のもと、堂々と信彰に相承することができる。

そうなれば、阿部家から日開、日顕、信彰と三代続いて法主を出すことができる。さらに孫の正教と続けば、四代だ。これこそ、日顕と政子の妄想の極みである。阿部家は宗門に君臨することができるのだ。

冷静に考えれば、無能で感情的な信彰や落ちこぼれの正教が法主になれば、宗門は滅茶苦茶になるだろう。バカ信彰についていけないと多くの住職が離脱をしたり、分裂劇が起きるかもしれない。

しかし、妄想に取り憑かれている日顕には、宗門がどうなるかは二の次だ。少なくとも自分の弟子たちは信彰を守るに違いない、自分の弟子さえいればよい。むしろ達師の弟子を一掃できると楽観しているかもしれない。

しかし、現実は日顕が考えているよりも深刻である。宗門の壇徒の多くは年配者である。青年層はごくわずかだ。今どき、檀家制度のような封建的体質の宗門に、魅力を感じる青年などいるはずがない。それでなくとも日本は少子化という厳しい時代を迎える。

あと十年もすれば、宗門の信徒数は激減するであろう。増えるのは無任所教師だけだ。近い将来、住職よりも無任所教師の方が多くなる。

財政問題も悪化する。無用の長物でしかない法教院のせいで、莫大な費用が飛んでいく。そもそも、法教院を存続させるためには毎年、得度者を取らなければならないのだから、宗門は自滅に向かって加速しているようなものだ。

このまま行けば、真っ先に切り捨てられるのが援助寺院だ。信徒の少ない末寺は閉鎖され、末寺が統廃合される時が目の前に迫っている。

たとえ、宗門が分裂を間逃れたとしても、その存続は厳しい。すべては日顕の妄想が原因である。(続く)

[2]TITLE:新改革通信 45号  2006/1/18   
name:管理人


新改革通信 45号 平成18年1月18日発行   

妄想に取り憑かれた日顕に食いつぶされる宗門(2)
早瀬の絶望を利用して、法器会潰しを始めた日顕

日顕は阿部一族の存続のために、早瀬日如の絶望を巧みに利用した。

早瀬の絶望は二つある。まず、自分の息子が無能であるということだ。長男の道寧が法器会をまとめる能力がないことは誰の目にも明らかだ。次男の正寛は還俗してしまった。弟の義雄の息子の道義は札付きのワルである。末の弟の義純には娘しかいない。つまり、法器会をまとめていく者が早瀬家の次の世代には誰もいないということだ。

唯一の希望は日如の娘・千勢子の婿である國島道保である。そのことは日顕も分かっている。だから、國島をわざわざ信彰の後任として府中・大修寺に入れた。日顕は早瀬に恩を売ったのだ。

これは日顕が東京に自分の弟子を集めるための布石でもあった。八木を筆頭に、石井信量、渉外部長の秋元など、日顕の弟子を東京に集めた。日顕は本山だけでなく、有力寺院のある東京を押さえたことになる。恩を売られた早瀬は何も言えない。
早瀬の二つ目の絶望は義雄・義純の二人の弟の死である。単なる身内の死ということではない。   

それは、日応法主が開いた法道院を継ぐ者がいなくなったことを意味する。妙国寺に信彰が入った時から、早瀬はいずれ法道院も日顕に取られるかもしれないと感じていたに違いない。

そして、早瀬は法主になったが、同時に法道院を失った。これは法器会の存続に関わる重大問題である。法器会は法道院を拠点としていた。そこに日顕は自分の弟子の八木を入れた。これは実質的に法器会の活動を停止させたことになる。法器会潰しの序盤である。

一月三日に早速、日顕は、本山で自分の弟子の集まりである「徒弟会」を開いた。早瀬に対する露骨な嫌がらせである。日顕だからできる意地の悪い行為だ。そもそも、日顕は一昨年の一月、「私は今日に至るまで『会』というものを指導して、作っておりません」「徒党を組むようなことを一切忘れてやっていきたい」と、徒党や派閥を作らないことを宣言していた。日顕は簡単にウソをつく。

日顕は早瀬に圧力をかけ、陰で宗門を操ろうとしている。しかし、ある住職は元旦早々、「もし早瀬が日顕と路線の違う指南をしたら、現法主である早瀬に従うべきだ」という発言をしている。

日顕がこれ以上動けば、宗門は必ず混乱する。しかし、「阿部一族の宗門支配」という妄想に取り憑かれている日顕は宗門を割ってでも、阿部家を守るつもりに違いない。(続く)

[1]TITLE:新改革通信 44号  2006/1/17   
name:管理人


新改革通信 44号 平成18年1月17日発行   

妄想に取り憑かれた日顕に食いつぶされる宗門(1)
阿部一族が生き残るために末寺を犠牲にした日顕の残虐さ

平成十八年の幕が明けた。宗門は本年を「決起の年」と名付けたが、所詮、創価学会の真似事である。日顕は池田名誉会長に強烈なコンプレックスを抱いている。そして、その反動で何でも池田名誉会長の真似をしようとする。創価大学の真似をして法教院を作り、今度は隠居して、名誉職の真似をしようとしている。

ただし、隠居は名誉職ではない。辞書によれば、「官を辞し、世間での立場を退き、また家督を譲って世の中から遠ざかって暮らすこと」(小学館・国語大辞典)とある。「同盟通信」(一一二号)で引用されている日寛上人の「人の隠居の時と臨終と全く同じ」との言葉の通り、日顕は一切の権利を早瀬に譲り、実質的に臨終を迎えたのだから、表に出てくる必要などない。
ところが日顕は毎月、十日間は本山に来るという。目的は明らかで、早瀬の監視である。無言の圧力を加えようとしているのだ。

日顕が恐れているのは、早瀬の発言である。日顕の業績を否定する発言、日顕の路線を変更する発言がないかどうか、監視しているのだ。

ここまで日顕を突き動かしているものは何か?それは阿部一族を頂点とした宗門を構築したいという妄想である。その妄想を実現するために、日顕は謀略「C作戦」を実行した。その結果、宗門の三分の一の末寺が自活できない困窮状態に陥っている。しかし、妄想に没頭している日顕には決して現状を省みることができない。偏執狂と同じである。

言い方を変えると、日顕は自分の妄想を実現するために宗内僧侶を犠牲にしたのである。まるで、レーニンが内戦でブルジョア市民を盾にしたように。貴族出身のレーニンはブルジョア市民を犠牲にすることを厭わなかった。日顕も同じである。日開法主の血を引く阿部一族が生き残るためには末寺が犠牲になっても何とも思わない。これが独裁者に共通する冷酷さである。
妄想に取り憑かれている日顕は、用意周到に阿部一族の血を残すための準備をしている。息子の信彰を庶務部長にして、自分の一番弟子の八木を総監に据えた。これにより、阿部ファミリーで宗門の要所を押さえたことになる。

もっと大事なことがある。早瀬は庶務部長、総監となり法主となった。つまり、日顕は信彰が法主となる道筋をつけたのだ。早瀬と同じように信彰がやがて総監になり、法主になる。早瀬は日顕に利用されているだけだ。(続く)