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[18]TITLE:新改革通信 61号  2006/10/12   
name:管理人


新改革通信 61号 平成18年10月12日発行

広布の殿堂「正本堂」建立から三十四年。そして狂気の破壊から八年──後世の人々は、「日顕宗の滅亡は、正本堂の破壊とともにあった」と語るに違いない


正本堂は、本門戒壇の大御本尊を御安置するために建てられた。一九六七年に着工、そして一九七二年十月十二日に完成し、歴史に残る落慶大法要が行われた。

六十六世・日達法主はその年の四月二十八日に「正本堂は、一期弘法付嘱書や三大秘法抄の意義を含む、 現時点における事の戒壇である。すなわち正本堂は、広宣流布が達成された時に、本門寺の戒壇となる建物である」と「訓諭」を発し、正本堂建立に関する仏法上の意義を明らかした。

そして、その十年後、一九八二年十月十二日に行われた正本堂建立十周年記念祝賀会において、日顕は以下のように述べた。
「この正本堂の建立は本門下種三宝の御威光を根幹とし、近代における先師日昇上人、日淳上人、さらに当時の御当代日達上人の御高徳と、そして創価学会の初代牧口会長、二代戸田会長の後に続く第三代池田会長の卓越した信心と正法護持の精神、およびその指導による会員信徒各位の不惜身命の大折伏行の賜物であり、その功徳を中心としてこの大事業が完成されたことは、論をまたないところであります。
また、この因縁により様々の問題も起こりましたが、達観すれば本門戒壇の大御本尊を明鏡とする権教・実教の二人、順縁・逆縁の二途の興起する相であり、血脈相伝の仏法に対する信解の有無、あるいは懺悔改心の者と誹謗執著の者との違いは厳然たる下種仏法の善悪の結果、現証に明らかとなっております」

ここで、日顕が述べている「様々な問題」というのは、一つは「国立戒壇」を主張して正本堂の建設に反対した「妙信講」(現・顕正会)の問題であり、また、もう一つは、当時、正信会が日顕に対して〃血脈を受けた証拠がないから、管主の資格は無い〃と「地位不存在確認の裁判」を起こした問題のことである。

この二つの問題に対して、日顕は何をしたか。

昭和四十七年、宗務院は妙信講に対して、先に述べた四月二十八日の日達法主の「訓諭」を元に、「訓諭に従わなければ解散処分に該当する」として、七月七日までに弁疎せよと、厳しい態度に出た。それに対して、妙信講の代表であった浅井は、「訓諭」は細井管長の本意ではないとして、逆に七月七日までに訂正をしなければ、「非常手段」をとると返事をしてきた。

この返書を見た当時、総監であった早瀬日如の父親である早瀬日慈と、教学部長であった日顕は、ともに七月七日の弁疎の期限を待たずして辞表を提出し、二人して雲隠れしてしまったのである。日顕らの遁走先は、何と兵庫県の有馬温泉であった。結局、この問題は創価学会が全面的に引き受けて妙信講と戦い、日達法主を守ったのである。
正信会の問題も、元をただせば、日顕と反日顕勢力の派閥争いである。そして、日顕は自分に対抗する派閥を潰すために、創価学会の力を利用した。もし、創価学会の弁護士らの応援がなければ、裁判はどうなっていたか、わからない。

すなわち、日顕は常に創価学会の力に頼り、創価学会のお陰で命拾いしてきたのである。ところが、日顕はその恩を仇で返し、池田名誉会長を信徒除名にして、「C作戦」という謀略で創価学会を切り崩そうとしたのである。

日顕は平成二年十二月二十五日の午後、約一時間半にわたり、高橋公純、段勲、押木二郎ら反学会勢力の五名と内事部の第三談話室で密談した。席上、日顕は「一月十五日までに決着をつけて、二月には戒壇の大御本尊を正本堂から奉安殿に移したい」と本音を吐いた。しかし、その話を聞いた段から「それじゃあ、妙信講の主張と同じじゃないですか」と諭されたというのである。

すでに日顕は平成二年の段階で正本堂破壊のシナリオを考えていたのである。
まさしく、正本堂建立十周年記念祝賀会で日顕が「達観すれば本門戒壇の大御本尊を明鏡とする権教・実教の二人、順縁・逆縁の二途の興起する相であり」と述べた通りに、大御本尊安置の正本堂を明鏡にして、日顕自ら正法流布破壊の、権教逆縁の者である姿を写し出していたのである。

今から七百二十七年前、弘安二年(一二七九)九月二十一日、熱原郷の農民信徒たちは、滝泉寺の院主代・行智が仕組んだ陰謀により、滝泉寺の田の稲を不当に刈り取ろうとした盗人として捕らえられ、鎌倉へ送られた。
日蓮大聖人とその門下を憎悪していた平左衛門尉頼綱は、護送されてきた農民信徒を私邸の庭に引き出し、法華経への信仰を捨てよと拷問を加えた。それでも不退転の決意を崩さない農民達の堂々たる姿に、頼綱は怒り狂い、神四郎、弥五郎、弥六郎の三人を斬首した。

大聖人はこの入信間もない農民たちの不惜身命の姿に、広宣流布の後継の弟子が未来に続くと確信して、「余は二十七年なり」と本懐を遂げ宣言をされたのである。

そして、奇しくも正本堂建立〃二十七年目〃になろうとした時に、日顕は正本堂を破壊して、自ら天魔の正体を天下にさらした。

日顕は、まるで平左衛門尉が自分の脅しに屈することなく、不退転の決意を見せた農民たちを見て怒り狂ったように、「破門」に処した創価学会員がまったく動ぜずに、池田名誉会長の元、異体同心の信心を貫いているのを見て我慢ならずに、正本堂破壊という狂気の沙汰に出た。

後世の人々は言うだろう。「正本堂破壊は日顕が平左衛門尉の眷属であることを歴史に留めた事件であり、日顕宗は正本堂破壊とともに滅亡した」と。

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