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[43]TITLE:新改革通信 82号  2008/5/3   
name:管理人


新改革通信 82号 平成十九年十二月二十七日発行
発行元 : 日蓮正宗改革同盟

創価学会出現以前の宗門は、「死に体」だった(六)
「日蓮正宗」になって、まだ九十五年。清浄だったのは、創価学会と和合していた時だけ

 
 平成二年十二月二十七日、 日蓮正宗の宗規が改正されたことに伴い、池田大作法華講総講頭ほかが資格を喪失した。「C作戦」の実行であった。
 権力抗争で「死に体」であった宗門を復興させた創価学会の大恩に対して、日顕は仇で返したのである。繰り返して言うが、それは、日顕が宗門の再生の道を自ら放棄したことを意味する。

● 「日蓮正宗」九十五年、「創価学会」七十七年
 
 宗門は、「七百年の歴史」と宣伝しているが、実際には、富士門流、日蓮宗興門派、日蓮宗富士派と、日蓮宗の弱小一派でしかなかった。
 それが「日蓮正宗」と認可されたのは、一九一二(明治四十五)年、第五十七世法主・日正の時である。それから、九十五年しか経っていない。
 そして、創価学会設立が、一九三〇(昭和五)年、七十七年の歴史。十八年の差でしかない。
 
●独立した途端、身延派の「大師号」運動に参加
 
 今まで、どこの教団からも相手にされていなかった大石寺は、一宗となったが、まだ、劣等感が強かったのであろう。大教団に仲間入りをしたくて、早速、「大師号」請願運動に参加する。
 これは、顕本法華宗の本多日生が中心となって、大聖人に大師号をもらおうとする運動であった。
 この時に、宗門でこの運動を積極的に進めたのが、当時、宗務院総務であった日顕の父・阿部法運(日開)であった。

●身延に大聖人の墓があることを認めた日開
 
 さらに、身延派の最有力教団の日蓮宗は、「立正」の勅額を身延山の御廟に掲げることを画策した。そのために、日蓮宗は、宮内大臣及び文部大臣に請願書を提出した。
 そして、勅額降賜の条件として、日蓮宗に対して、他の日蓮宗各派が大聖人の墓が身延山にあることを認め、勅額降賜に皆が賛成したことを証明する「念書」の提出が求められた。この時、阿部日開も、この念書に自署押印したのである。
 日顕は禅寺に墓を建てたが、親子して墓にまつわる謗法を犯しているのである。

● 創価学会が出現するまでの十八年間は、謗法、派閥争い、腐敗堕落が充満
 宗門は「日蓮正宗」になった途端に、謗法与同から始まり、法主の地位をめぐる派閥争い、そして、供養を遊興で浪費するという堕落ぶりを見せている。
 そして、その凋落は、創価学会が出現するまで続き、戦後の宗門はその貧しさから、大石寺の観光地化まで検討していた。
 このように腐敗・堕落して信仰を失っていた宗門だからこそ、戦時中に軍部から脅されて、簡単に神札を受けたのであろう。

●宗門の本質を見抜いていた牧口会長

 牧口初代会長は、昭和十七年十一月の創価教育学会第五回総会で、「日蓮大聖人御在世当時の天台宗は、現今の日蓮宗の中でも『日蓮正宗』に相当すると思はれる」と言われている。
 大聖人在世の天台宗は、法華経が最高の法であると知っていながら、邪悪と戦わず、それどころか、大聖人を迫害する側に回った。
 牧口会長は宗門の僧侶と接し、彼らが広宣流布など眼中になく、権力と金銭にしか興味がないことを見抜き、やがて僭聖増上慢として、創価学会を迫害して来るであろうと感じていたのである。
 事実、その翌年、昭和十八年六月、牧口会長と戸田理事長は本山で、六十二世日恭から、神札を受けるように言われ、それを拒否した二人は、軍部の迫害を恐れた宗門から「登山停止」の処分を受けた。
 その結果、何が起こったか。日恭は客殿の火事で焼死し、牧口会長は牢獄で殉教された。仏罰と不惜身命、正邪が明らかになった。
● 創価学会だけが、大聖人の血脈を守った

 「信心の血脈なくんば法華経を持つとも無益なり」この大聖人のお言葉に従えば、謗法与同の大石寺に血脈はなく、謗法厳戒を貫いた創価学会が血脈を受け継いだことになる。
 すなわち、すでに信心の血脈を失った宗門は、血脈を受け継いだ創価学会と和合していたから、功徳と発展があったのだ。
 日顕はこのことが、まるで分かっていない。僧侶主導の体制を作るために、日顕は創価学会を破門にしたが、それは、大聖人の血脈を受け継いでいる、唯一の和合僧団から、自ら離れてしまったことを意味している。
 
 今回、六回にわたって、創価学会出現以前の宗門の歴史を紹介した。その意図は、創価学会の存在がなければ、今の宗門など跡形もなかったということを、宗門の所化たちや法華講員に知ってもらうためである。
 もし、宗門が滅亡を逃れることができるとすれば、それは中にいる者たちが真実に目覚めるしかないからだ。
 将来の宗門を背負う世代が、日顕の犯した罪の大きさに気付き、創価学会と歴代会長に対する大恩に報うべきであると立ち上がる時が来ることを我々は、願っている。
 また、それ以上に、我々は大聖人の弟子として生き抜くことを決意している。だからこそ、広宣流布の妨害をする日顕らを絶対に許さないのである。(このシリーズ終わり)

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