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◆新改革通信 目次◆

松岡幹夫氏文書一覧

●新改革通信(22〜43号)

●新改革通信(44〜52号)

大石寺の桜伐採の写真

◆同盟通信(104〜112号)


[30]TITLE:新改革通信 72号  2007/7/11   
name:管理人


新改革通信 72号 平成19年6月21日発行   

日顕宗は日顕の「コンプレックス」の産物(4)
法道院を手中に収めた日顕の権力欲は自滅するまで続く


コンプレックスから逃れるために、絶対的権威を求める日顕は、法主になっても安心はできなかた。なぜなら、阿部家は宗門の閨閥では大きなものではない。最大の閨閥は早瀬家である。だから、日顕は、わざわざ、娘を早瀬家に嫁がせて、自分の勢力を安定したものにしようとした。
また、早瀬家は五十六世日応法主の血を受け継ぐ。日顕の父・日開も日応門下である。だから、阿部家は早瀬家に対して、劣等感を持っている。日顕は、その劣等感を早瀬家との縁戚という形で払拭しようとしたのである。

●法主の地位の代わりに、法道院を失った日如

早瀬日如は法主の地位を手に入れたが、同時に法道院を失った。これは早瀬家にとって、致命的な損失である。なぜなら、法道院は宗内最大派閥の「法器会」の中心寺院であったからである。
日顕が密かに恐れていたのが、この「法器会」の存在である。日達法主の弟子の派閥「妙観会」は、正信会問題で分断され、事実上、力を失った。宗内僧侶の数で言えば、日顕の弟子が一番多い。ところが、日顕の弟子はまだ若い。五十代前後の宗門中堅は「法器会」と「妙観会」が占めている。特に、本山の宗務院や全国の支院長クラスに「法器会」が多いのだ。
日顕は自分が法主の時には、早瀬家と縁戚になり、彼ら「法器会」を権威で封じ込んで来たが、日顕の死後を考えると、大きな不安材料である。
日顕としては、自分の弟子に法主を継がせたがったが、息子の信彰では「妙観会」や「法器会」が反発する可能性がある。それは、一番弟子の八木でも同じで、宗内を抑えるには力不足である。
そこで、日顕は思い切って、早瀬を指名した。早瀬であれば、「法器会」は当然のこと、「妙観会」も抑えることができる。そして、何よりの好条件は、早瀬の後継者問題である。日如の長男は役に立たないし、次男は還俗している。日如には有望な後継者がいないのである。
だから、周りを八木と信彰で囲んでしまえば、早瀬家も恐れるに足らずと日顕は考えたのであろう。しかも、八木を法道院に入れれば、「法器会」そのものを弱体化できる。一挙両得である。

●「法器会」の分断を狙う日顕

早瀬百合子の娘、すなわち日顕の孫娘と結婚した木村信龍が世田谷・善福寺に入った。まだ若手の木村が都内の寺に入るなど、今までの宗門の慣例ではあり得ない。明らかに、娘の百合子と孫娘を東京においておくための人事である。
問題は、そこで終わらなかった。善福寺は正信会から返還された寺院のため、正信会信徒は正信会の別な寺院に移った。だから、信徒がいないのである。そこで、法道院の「正蓮講」が移ることになったのである。
今までの例では、法道院から「法器会」に所属する寺院に信徒を移すことはあった。しかし、今回は、日顕の弟子の寺に移したのである。これは八木が法道院の主管だからできたことであろう。日如は法主という立場から、今までのように「法器会」だけに肩入れすることはできない。だから、認めざるを得なかったに違いない。
しかし、これは見方を変えれば、「法器会」の解体の第一歩とも言える。日顕は阿部一族の安泰のために、次の手を打ち始めたのかもしれない。

●日如が法主でも、実態は日顕体制

現法主の日如は単なるお飾りである。総監の八木と庶務部長の信彰は、重大な案件はまず、日顕に相談する。そして、そののちに、日如に報告する。日如もそれを知っているが、何も言えない。「法器会」の拠点を失った、今の日如には、八木や信彰に対抗するだけの後ろ盾がないのである。
ここまでは日顕の思う壺である。が、しかし、問題は次期法主、六十九世である。日顕の構想はこうだ。 時期を見て、信彰を総監にする。そうすれば、日如が総監から法主になったように、信彰が六十九世となる。そして、信彰を日顕の弟子たちが支える。
しかし、果たしてそう、うまくいくか。無能な信彰が、宗内を本当にまとめることができるのか。現宗門の誰もがそれは認めることであろう。日顕の不安は生きている限り、続くことになる。

今まで見てきた通り、日顕の人生は、出生から今に至るまで、コンプレックスに支配されていることがわかる。父・日開から始まり、池田名誉会長と創価学会、そして、宗内における立場においてまで、すべてがコンプレックスのもとになっている。そして、同時に、日顕にとってはそのすべてが嫉妬と怨念の対象でもあり、その怨念を晴らすために生きているようなものだ。
しかも、日顕は絶対的安定を欲するあまり、自分の派閥を強化し、対抗勢力を排除するという行為を繰り返して、際限なく権力を求め続けている。その欲望がコンプレックスから生まれているため、終わりがないのである。おそらく、その欲求は自滅するまで続くであろう。
日顕が学会を破門した時から、宗門の運命は決まったと言える。このままでは、日顕の怨念は信彰に引き継がれ、信彰は邪魔者を排除しながら、権力を求め続ける。そしてその暴走は宗門が破滅するまで止まらないということだ。
大聖人云く、「修羅は日輪を射奉れば頭七分に破る」と。これは修羅の生命、コンプレックスが身を破滅させるということを示唆されているのであろう。
そして、最後には宗内僧侶一人一人の信心が問われるということを肝に銘じておくべきである。(終わり。編集部)

[29]TITLE:新改革通信 71号  2007/7/11   
name:管理人


新改革通信 71号 平成19年6月19日発行   

日顕宗は日顕の「コンプレックス」の産物(3)
宗門僧俗を「未生怨」の世界に引きずり込んだ日顕


日顕の人生は、幼少の頃から、恨みに染まっていたように見える。有名な話になってしまったが、日顕は生まれて五歳になるまで、父の阿部日開から認知されていなかった。
日顕が信夫として生まれたのは、大正十一年十二月十九日。認知されたのは、阿部日開が猊座に登った直後、昭和三年六月二十七日である。

●「未生怨」であった日顕

日顕にとって、父・日開が自分を認知しなかったというのは、まるで自分の存在を否定しているように思えたであろう。と同時に、日顕は母親に対しても、なぜ、自分をそのような境遇で生んだのかと、恨みを抱いたであろう。その怨念は意識の奥深くに根付いたに違いない。
この日顕の複雑な生い立ちを見ていると、仏典に出てくる阿闍世王の物語を思い出す。阿闍世王は提婆達多にそそのかされて、父王を殺し、父を助けようとした母を幽閉して王位についた。
阿闍世王の父は、生まれてくる息子が父を殺すであろうという占い師の予言を聞き、息子が生まれるとすぐに、夫人と共に高所から突き落として殺害を謀ったという逸話もあり、阿闍世王が「未生怨」と名づけられたというエピソードは有名である。
この阿闍世王の物語は、非常に日顕の感情に通じているものがある。父親に望まれず、その父を恨み、そして、そんな父に対しても愛情を注ごうとする母に対しても恨みを持つ。
しかし、日顕の恨みは阿闍世王を超えているとも言える。なぜなら、日顕は阿闍世王の如く父を恨んだだけではなく、同時に提婆達多のように池田名誉会長に嫉妬しているのだから。

●コンプレックスから暴力を振るう日顕

日顕は法主の子として生まれたが、認知されなかった。だから、日顕はエリート意識もあるが、同時に不遇であったという両極端な意識を持って育った。不安定な心理状態と言えよう。
日顕の暴力癖も、この不安定な精神状態から起こっていると言える。すなわち、自分は法主の子だから、周りの者は自分に従うべきだと日顕は思っている。父親に対するコンプレックスのせいで、異様にその欲求が大きい。ところが、現実はそうではない。そして、相手を説得する術を知らない日顕は、暴力で相手を従わせるという極端な方法に走るのだ。
この行為は、特に相手が身内の場合に、起こりやすい。だから、息子や弟子に対して、暴力を振るうのである。
また、相手が、法臘が上という権威を持っていた場合には、受け入れてもらいたいという欲求から、逆にペコペコする。これもやはり、父親に認めてもらえなかったというトラウマが原因となっているのだろう。
日顕が法主になる前、教学部長の時に、「米つきバッタ」と揶揄されたように、池田名誉会長の前に出ると、頭を下げていたということも同じ理由であろう。学会員から尊敬されている名誉会長に、認めてもらおうとしたのである。

●建物の破壊という暴力

日顕が法主になった途端に態度が豹変したのは、法主と言う権威が、創価学会を含め、すべての僧俗に及ぶものと思ったからだ。だから、弟子に対する暴力と同じで、威圧的になったのだ。
日顕の〃暴力で相手を従わせる〃という行為は、法主になった後、本山の〃建物を破壊して、自分の力を見せ付ける〃という形に変わったが、本質的には同じものである。日顕にとって暴力行為と建物破壊は同根である。自分の存在を認めてもらいたいコンプレックスの証である。
日達法主の建立したものを破壊したのは、日達法主の弟子に自分の権威を見せるためであり、正本堂を破壊したのは、創価学会員に自分の力を見せ付けるためだ。
前号でも述べた通り、日達法主や池田名誉会長を超えたいという日顕の強烈な欲求が、建物の破壊という衝動を起こしているのだ。

●阿闍世は王を殺し王位に就き、日顕は嘘の相承で法主になった

阿闍世は王位に就きたいがために父を殺した。そして日顕は、法主なりたいがために、嘘の相承を申し立てた。どちらも権威を手に入れるために手段を選ばなかった。
また、阿闍世は父を守ろうとした母さえも幽閉したが、日顕は相承疑惑の声をあげた同門の僧侶である正信会を切った。どちらも、身内であろうと自分に歯向かう者は許さないということだ。
父に認められなかった阿闍世と日顕は、「未生怨」といわれるように、生まれと共に怨をかかえたが故に、父とおなじ権威に異常に執着した。
それでも阿闍世王は、釈尊に帰依して過去の罪を懺悔して救われた。しかし、日顕は自分の罪を決して認めようとせず、さらに悪行を重ねて来た。その結果、日顕は宗門全体を自分の怨念の世界に引きずり込んでしまったのだ。

宗内僧侶がこの日顕の怨念の世界から抜け出す方法は、阿闍世王のように、真実の信仰の道に入るしかない。僧侶という権威を脱ぎ捨てて、大聖人の弟子という信心に立って、自らの罪を詫びるということだ。その時にはじめて、彼らは阿闍世王と同じように、この信心の喜びを知ることができるであろう。(続く)

[28]TITLE:新改革通信 70号  2007/7/11   
name:管理人


新改革通信 70号 平成19年6月18日発行   

日顕宗は日顕の「コンプレックス」の産物(2)
池田名誉会長を超えるために「正本堂」を破壊した日顕

日顕の池田名誉会長に対する嫉妬は実に根深いものである。それが「正本堂破壊」という形で現れた。
日顕には、「正本堂」が、池田名誉会長の力の大きさを象徴しているものにしか見えなかったのであろう。屈折した感情に支配された日顕には、日達法主が示された「本門戒壇の大御本尊安置のところはすなわち事の戒壇である」という甚深の意義や〃信徒の供養の結晶〃という誠意はまったく関係ないものであったに違いない。
すなわち、日顕にとっては、「正本堂を破壊する」ことが、池田名誉会長を超えることだったということである。〃俺にはこれだけの力がある〃と見せ付けるための、実に子供染みた行為であるが、それが日顕にできる唯一のことだったと言えよう。

● 宗門は日顕の怨念を晴らすための道具

前号でも述べた通り、日顕宗は日顕の異様なコンプレックスから生まれた。それがゆえに、組織の形態から折伏の方法、すべてのことが、池田名誉会長と創価学会に対する怨念に結びついている。
すなわち、今の宗門は、そのコンプレックスから逃れるために折伏をし、組織を運営していることになる。常に、〃創価学会よりも自分たちが上〃ということを示すことが目的になっている。
この心理は実に恐ろしい。なぜなら、日顕のコンプレックスが、宗門を広宣流布とは全く無縁な方向に向かわせているからだ。

●ミニ日顕を生み出すだけの宗門の体質

日顕の嫉妬と怨念という「業」から生み出された宗門から生まれる僧侶は、その日顕と同じ業を持ち、常に〃信徒を支配したい〃という欲望に駆られている。
彼らは信徒を道具のようにみなし、横暴な言動で信徒に接する。もし、表面を丁寧に取り繕っても、内心では信徒を見下げているから、やがてボロが出る。
今、横暴な宗門の住職によって虐げられている信徒が、日本の各地で怨嗟の声を上げている。「信徒に接する態度が横柄」「たくさん供養した者しか大事にしない」「住職の女房がえばっている」等々、住職と女房に対して、信徒の不満の声が蔓延しているのだ。
ある葬儀社の人も、「坊主の中で、日蓮正宗の坊主が一番、偉そうだ。一体、何様のつもりなのか」と言っている。
中には、一見、人柄が良いとされる住職もいるが、それでもそういう住職が「僧侶と信徒は同等」などとは思っているわけではない。自分の評判を上げるため、ひいては供養を上手に出させるためにサービスしているに過ぎない。
その証拠に、信徒が少しでもその住職を批判したり、あたかも普通の友達のように、対等に話をしたりすれば、その途端に本性をむき出しにして、「信徒の分際で」と言い出す。

● 「人間を軽賎する」ことこそ、「一凶」

彼ら、日顕宗の僧侶たちにとっては、「僧俗差別」は一度も疑ったことのない当たり前のものである。だから、彼らが自分たちよりも「低い立場」の信徒の幸福を考えるという発想が出てこない。
「奴隷制度」を思い出してほしい。奴隷制度が成り立っていた時代に、主人が奴隷の幸福を考えるだろうか。彼ら「主人」にとっては、奴隷は「主人」につかえるのが仕事であり、彼らの生活は存在していないも同じだ。
日顕の世界にあっては、この「奴隷制度」と同じことが起こっている。信徒は僧侶につかえるのが仕事、僧侶を支えるための存在にすぎない。
このことは「僭聖増上慢」を説いた法華経の「勧持品」の一文、
「或は阿練若に 納衣にして空閑に在って 自ら真の道を行ずと謂いて 人間を軽賎する者有らん利養に貪著するが故に 白衣の与めに法を説いて」
この表現がそのまま、日顕、日如の振る舞いにあてはまる。
この「人間を軽賎する」ことこそ、人権を侵害し、民衆の自立を奪う、倒すべき「一凶」なのである。

●創価学会に「報恩感謝」しない限り、宗門はコンプレックスから逃れられない

宗門が、〃嫉妬と怨念の連鎖〃という日顕のコンプレックスから逃れる方法は一つしかない。それは、彼らが池田名誉会長と創価学会に「報恩感謝」することである。それができて、初めて、彼らはコンプレックスを乗り越え、自立した信仰を始めることができる。
提婆達多が地獄に堕ちて救われたのは、苦しんだあげくに、自分の慢心を悔いて、釈尊の偉大さを受けいれたからである。
世界広宣流布を成し遂げた池田名誉会長と創価学会の偉大さを受けいれないから、コンプレックスが生じるのである。

彼らが創価学会に「報恩感謝」できないうちは、末寺や本山の建物を含め、かつて創価学会がした供養に、全面的に依存している宗門が、自ら依存している創価学会を批判しているという矛盾から逃れられない。それこそ「頭破作七分」の行為である。宗門がそんなことを続ければ、歪んだ人格の僧侶が生み出されるだけであろう。(続く)

[27]TITLE:新改革通信 69号  2007/7/11   
name:管理人


新改革通信 69号 平成19年6月15日発行   

日顕宗は日顕の「コンプレックス」の産物(1)
信徒を利用するための、見せ掛けだけの僧俗一体!

日顕宗の折伏成果は、相変わらず低迷している。特に、総監の八木と庶務部長の信彰は、宗内住職には、「信徒倍増!」と檄を飛ばしているが、自分たちの寺の折伏は惨憺たるものだ。
日顕らは上辺では「僧俗一体」などと言っているが、内心では、信徒に命令すれば折伏ができると思っている。〃信徒を道具のようにみなす〃、この姿勢こそが、宗祖大聖人の御精神に違背する「一凶」である。

●現宗門は怨念の塊・日顕のクローン

創価学会を破門した当初、日顕は盛んに「僧侶主体の広宣流布」という言葉を使っていた。この言動の根底には日顕の池田名誉会長に対する嫉妬の念がある。それは提婆達多が釈尊に抱いた怨念と同じで、偉大な指導者に対するコンプレックスである。
日顕にしてみれば、同じ信仰をしていながら、池田名誉会長と自分の実力が違うということは受け入れがたいことだったに違いない。自分は僧侶で、しかも法主の子供である。なのに、在家の信徒に敵わない。何重にも屈折した心理である。
その日顕の怨念が「C作戦」を生み、宗門全体を巻き込んだ。と同時に、宗内僧侶も与同して、その日顕の怨念を受け入れたことになる。そして出来上がったのが、今の宗門である。
つまり、現宗門の体質の底には、この日顕のコンプレックスが厳然と存在しており、宗門自体が、日顕のクローンなのである。だから、早瀬日如以下、宗門の僧侶の言動には、常に日顕と同じように、〃池田名誉会長への嫉妬〃と信徒を見下す〃慢心〃が潜んでいる。

● 信徒利用のための偽りの僧俗和合

広い意味で言えば、宗門は「創価学会コンプレックス」と言えるだろう。折伏のできない僧侶集団は、折伏の団体「創価学会」に劣等感を抱いている。
宗門は当初、日顕主導で「僧侶主体の広宣流布」と意気込んでいたが、結局、肝心の僧侶があてにならず、折伏は一向に進まなかった。そこで宗門方針を変更し、「僧侶主体」という言葉を「僧俗一体」という言葉にすり替えた。
宗門は創価学会に対するコンプレックスから、〃僧侶主導でも折伏ができる〃ということを証明したかったのであるが、失敗した。そして、今度は少しでも創価学会の組織力に追いつこうと、宗門は宗門事件以前の創価学会と和合していた時代のことを、法華講相手に再現して真似しようと試みたのである。
しかし、所詮、コンプレックスから来た模倣である。真に僧俗和合を願っているのではない。信徒を利用するための形だけの和合であり、〃信徒に折伏させる〃という発想は変わらない。ましてや、創価学会と法華講では、その信心において天地雲泥の差がある。その結果、折伏は以前と同じで、まったく進まない。

●信徒の幸福に関心がない日如たち

そもそも、日顕らにとって「折伏」「広宣流布」とは何か? それは〃供養する信徒を増やすこと〃に過ぎない。
四月十七日に本山で行われた正副宗務支院長会で、日如は「平成二十一年に向けて山内整備などの目鼻は付いた」と言い、八木は特別供養について「信者に供養の炎を燃え立たせるような指導を」と檄を飛ばした。
要するに、彼らの関心は自分たちのことと供養金にしかない。彼らの話に「信徒の幸福」という言葉が出てくることはない。
彼らに言わせれば、信徒の幸福は「僧侶に供養させていただける」ということである。だから、供養する信徒に感謝するという概念がない。「僧侶に供養することによって功徳があるのだから、供養させてもらっていることに信徒は感謝すべきだ」というのが、宗門の一貫した考え方である。

● 永遠に創価学会に依存する日顕宗

日顕の執着は〃創価学会がなくても、やっていける〃ということにある。しかし、今の日顕らの贅沢、宗門の資金はすべて、かつての創価学会からの供養である。そのこと自体、創価学会に依存していることになる。
もし、日顕が学会を破門した時に、それまでの供養金を学会に返還して、裸一貫から始めたのであれば、話は別だ。しかし、日顕らは、破門した創価学会の供養で、派手な生活を続けている。口では「創価学会は謗法だ」と言いながら、その創価学会の供養金で宗門の運営をもまかなっており、身は百パーセント、創価学会に依存している。ということは、宗門は永遠に創価学会に依存したままということになる。

長年の創価学会の外護により、今の宗門があるのは否定しようがない事実である。創価学会の存在がなければ、出家することがなかった者も大勢いる。すなわち、宗門の存在そのものが、厳然と破門された創価学会に依存しているのである。
そのことを忘れて、いくら日顕らが「僧侶主体だ」「僧俗一体だ」と叫んでも、すべてはコンプレックスの裏返しでしかない。提婆達多の人生が怨念を晴らすためのものでしかなかったように、日顕宗は日顕の怨念を晴らすための手段でしかない。
そして最も無残なことは、信徒はさらにその日顕らを生かすための糧とされていることである。(続く)

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新改革通信 90号  (2008/8/30)

新改革通信 89号(2008/7/5)

新改革通信 88号(2008/7/5)

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同盟通信 No.120-2(2008/5/3)

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同盟通信 No.119-2(2008/5/3)

同盟通信 No.119-1(2008/5/3)

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新改革通信 73号(2007/7/20)

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