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◆新改革通信 目次◆

松岡幹夫氏文書一覧

●新改革通信(22〜43号)

●新改革通信(44〜52号)

大石寺の桜伐採の写真

◆同盟通信(104〜112号)


[50]TITLE:同盟通信 No.120-2  2008/5/3   
name:管理人


 「流浪の身になり粥をすす」る覚悟を披歴した直後、東京・目黒の「大石寺出張所」に名を借りた20億円のプール付き大豪邸の建設計画が発覚。直後、衆目を気にしてか、計画は中止になったのである。隠尊はその後も、自身の放蕩・豪遊癖は棚に上げ、宗内に緊縮財政を強いた。しかし、平成4年4月には、奥湯河原の高級温泉旅館でのファミリー挙げての豪遊が発覚。隠尊は、さすがにマズいと思ったのか、直後の宗務支院長会議の席で「これからは、ちゃんとやりますから」と釈明した。

 しかしそもそも、隠尊がその後も、「ちゃんとやってこなかった」ゆえに、今の宗門の末期的な惨状があるのである。隠尊は相変わらず豪遊を続け、"金食い虫"の法教院を見栄から維持し続け、松濤、等々力には総額36億円も費やして豪邸を建てた。一方で、達師の事跡をこれ身よがしに次々と壊し、あの正本堂までも約50億円もかけて破壊し、わざわざ末寺・信者から約200億円も集めて奉安堂を建てた。この狂気の沙汰の陰で、多くの寺が貧窮を強いられてきたのである。

身内贔屓の"特別人事"も露骨である。8年前には、息子・信彰を大修寺から都内有数の大寺院・妙國寺に"栄転"させ、孫娘の婿・今野倍圓を31歳の若さで静岡・宣正寺の住職に、同じく孫娘の婿で29歳の鈴木信福を千葉・正願寺の住職に据えた。最近でも、やはり孫娘の婿で38歳の木村信龍が、正信会から返ってきた世田谷区・善福寺の住職に、衛坊の住職経験すらないにもかかわらず抜擢された。しかも、法道院所属の信者まで株分けしてもらうという厚遇ぶりである。一方、本山では300人近くもの無任所教師がひしめき合っているのだ。

 今や「流浪の身になり粥をすす」りつつあるのは、黙ってついてきた末寺のほうである、隠尊とそのファミリーは、いかに宗内の財政が逼迫しようが、常に安全地帯にいて高笑い。相変わらずの裕福な暮らしを満喫できるのである。政子夫人にしても、あの"買い物ツアー"がバレてから少しは慎ましくなったかと思いきや、今でも、わざわざ新幹線に乗って京都の老舗まで「豆腐」を買いに行くというではないか。

 末寺の住職なら、ひとたび、信者から苦情の投書があった場合、それがたとえ「讒言」であったとしても、問答無用の査問を受けた後、処分が待っている。昨年だけでも、4人が血祭りに上げられた。一方、隠尊を始めとしたトップとその取り巻きはどうなのか。「ちゃんとやりますから」とペコリと頭を下げるだけで、すべては不問に付されるのである。これほどの不条理、不公平があるだろうか。

 前号の「同盟通信」では、2月の記念局会議で発表になった事業計画の見直し内容も伝えた。つまり、当初、平成21年度で終わりと言われてきた記念局の事業が26年度にまで延長され、総事業費が110数億円から170数億円に跳ね上がったという、新たな「収奪計画」である。これも、末寺住職の心肝を寒からしめている。

 同盟の調査によると、元朝・新年勤行会の参加者数は年々滅ってきている。また、本年の元朝・新年勤行会の延べ参加者数がひと桁だった寺は、全国で10数力寺、20人に満たなかった寺は全末寺の1割に当たる50数力寺もあった。今、「プレ大会だ」「予行演習だ」と狂ったように結集に躍起になっているが、寺に集まってくる信者は確実に減っているのだ。にもかかわらず本山は、容赦なく末寺の頭越しに信者の供養を吸い上げようというのだから、最下級の30等級の末寺からバタバタ倒れていくのは時間の問題であろう。

河辺慈篤師が鬼籍に入って5年がたった。「陰の総監」と言われた師は、末寺の窮状をよく認識していた。「殆どの寺院が預金を取り崩して宗費を納めている。預金が無くなったら、宗門の年間予算はどうするのか」「今、非常灯を消している寺院がある。もし災害等に遭ったらどうする。国家の保証だって無いはずだ。電気、施設、建物の耐用年数が来る。どうするのか。車の買替、子供の教育費等、困っている人多い。この実情、上の者、何にも分かっていない。どこ吹く風で居る」「月1万に満た無い寺もある」「信徒から借金している寺もある」と、例の「河辺メモ」に記している。事実、北海道・池田町の長円寺住職だった中村道史師は、寺の経営が破綻し、宗門から追放され、還俗したが、今後このようなケースが頻出していくに違いない。

 直言、諌言によって宗門の行く手を軌道修正してきた河辺師に代わって、誰が、隠尊、日如猊下・執行部を諌めるのか。今、建て直しに手をつけなければ、数十年、否、十数年後には、宗門は消滅しているかも知れない。そんな状況を招いた張本人こそ、隠尊である。

 隠尊も齢85。達師を慕い、隠尊の「戦争責任」を追及しかけた光久師に共感する者の間では、隠尊没後の「除歴」の必然性が真剣に語り合われている。
                           (憂宗護法同盟員より)

[49]TITLE:同盟通信 No.120-1  2008/5/3   
name:管理人


同盟通信 No.120 (2008.3.31)

=「同盟通信」の前号で、隠尊夫人が所有する時価1億数千万円の"隠しマンション"の存在を暴いたところ、全国の末寺から大きな反響が寄せられた。一方、当の隠尊と政子夫人、宗門執行部はダンマリを決め込んだまま。「不祥事を起こした末寺住職は『投書』で簡単に処分するくせに、自分たちの場合は知らん顔か」――困窮する末寺を中心に不平不満が噴き出している。隠尊と政子夫人は騒ぎが収まるのを待つつもりか。隠尊とその取り巻きの度重なる不行跡に、達師を慕い、光久師に共感を抱く住職の間では、隠尊没後の「除歴」の必然性が真剣に語られ始めている。=

 政子隠尊夫人の億ション所有を素っ破抜いた、同盟通信」119号は、予想以上の反響を呼んだ。末寺住職の間からは様々な声が寄せられている。その中身は、「これ、本当?」とか「よく見つかったな」といった驚きの声や、「相変わらずのファミリー主義だ」といった憤慨や、「納得がいかないが仕方がない」といった諦めなど色々だ。

 一方、隠尊と政子夫人はダンマリを決め込んだまま。そういえば、かつて、政子夫人の"買い物ツアー爐白日の下となった時も、隠尊、政子夫人は最後まで沈黙を通した。

 末寺の動揺を抑えるべき執行部もしかり。「院達」を出すでもなく、宗会などで話題にされることもない、日頃、「宗門の機関紙ではない」と嘯きながら、ことあるごとに執行部の言い分を代弁している御用瓦版の「慧妙」が近々、精一杯の反論を試みるのではないかと、本山のある住職が同盟員に耳打ちしてくれたが、我々は、無闇に吠えるだけが取り柄の番犬の如き「慧妙」でさえ、今回は沈黙せざるを得ないと踏んでいる。

 それだけ、今回の億ション発覚は、隠尊、夫人にとって、申し開きが立たない、バツの悪い「スキャンダル」なのである。

 末寺住職から、そのマンションについて、もう少し詳細に知りたいとの声が多数寄せられたので、若干、紙面を割くことにする。都心の一等地に立つその20階建てマンションの一室は18階にあり、21帖のリビングダイニングキッチン、11帖、7帖、6帖の洋室のゆったりした間取り。面積は100平米以上もある。豪華なシステムキッチン、足元温風機、温水式床暖房も敷設してある。マンションの玄関は、オートロックは勿論のこと、受付もあり、セキュリティーは十分である。さらに、最寄りの地下鉄の駅からは徒歩わずか2分という至近(とはいえ、政子夫人がいちいち電車を使って移動することは考えられないが)。あらためて「実地検分」に赴いた同盟員は、天空に向かって聳え立つその豪華マンションの威容を見上げながら、援助を頼りに寺を細々と切り盛りする知己の顔を思い浮かべ、複雑な気分になった。

 山内の情報によると、政子夫人のマンション所有が公になった今、娘・百合子嬢への所有権の移転が検討されているという(ちなみに百合子嬢も、政子夫人のマンションの近くにやはり高級マンションを所有している)。それにしても、なぜ、所有権をわざわざ件の建設会社社長から政子夫人に移転したのだろうか。社長名義のままで自由に使えばいいというものだ。ある老僧は手厳しく語る。「出自が卑しいので、何でも自分の物にしておかなければ気が済まないのだろう」

 末寺の怒りは爆発寸前である。学会と袂をわかってから17年余。光久師が指摘したとおり、宗門はいよいよ先細りの道を辿るばかりである。17年前、末寺住職は、隠尊の言う「祖道の恢復」を鵜呑みにして、多少の苦難を承知の上でついてきた。当初、大勢の前で「流浪の身になり粥をすすっても」と落涙した隠尊の姿に心を動かされた者も少なくなかった。しかし、その隠尊はその後、何をしてきたのか。


[48]TITLE:同盟通信 No.119-2  2008/5/3   
name:管理人


同盟通信 No.119-2

 達師の未亡人は達師亡き後、娘さんのもとで暮らし、淳師の未亡人は息子さんのもとで、ともにつつましく老後を送られた。豪勢なマンションの話など聞いたことがない。

 ともあれ一宗のトップに立つ隠尊は「公人」である。公人である以上、夫人のこととはいえ、隠尊には、今回の不透明なマンション取得疑惑について、宗の内外に説明すべき責任があるのではないか。

 宗門中枢からの話が漏れてきた。「このままでは宗門の財政は破綻する。今こそ末寺の統合を真剣に考えねばならない。3分の1ぐらいに縮小するのが望ましい」もっとも、中枢が訳知り顔で指摘するまでもなく、賢明な末寺住職は既にそのあたりに気づき、覚悟を固め始めている。一向に折伏は進まず、信者は増えず。一方で信者の高齢化が進む中、年金生活の中からなけなしの供養が絞り出されている。さらには、それに追い打ちをかけるような、情け容赦の無い供養取り立ての嵐である。

 ここにきて、新たな収奪計画の全貌が明らかになった。2月19日の記念局会議の席上、当初、平成21年度で終了するとされていた記念局の事業が突如26年度まで延長されたこと、総事業費が当初の「110数億円」から「170数億円」に膨れ上がったことが発表されたのだ。

 これにより、末寺からは昨年の預貯金の5%の徴収に引き続き、さらに合計で10億円余、率にして3%あまりが有無を言わさず取り立てられることになった。その上、住職・寺族にも個人としての御供養が課されており、その予算額は当初の3倍以上の「6億5千万円」となっている。寺の金も個人の金もむしりとろうということだ。

 一方、信者からは、本年までの3年間で90億円余りを集める計画だったが、この2年間で集まったのは約50億円程度。ゆえに、今年末には40億以上集める計画になっていたが、それに加えて、さらに30数億円も集めようというのだ。

 手前勝手な本山による「収奪」によって実入りが減る一方の末寺は、いったい、いつまで耐え忍べばいいのか。「これが最後」“これが最後”“これが最後”という執行部のいつもの決まり文句を、もはや信じる住職はいまい。

 宗門が、ハイテク飛行機のごとく自動操縦で安定飛行できれば、これほど気安いことはあるまい。しかし、ひとたび、狂った操縦士に操縦桿を強奪されたが最後、宗門は墜落への一途をたどるしかないのである。それは表向きの操縦士が日如猊下に代わったところで、隠尊が宗内の要路を押さえ、後方で隠然と影響力を示しているうちは、何も変わらない。

 今さらながら、隠尊の責任を手厳しく批判し、宗門の現状に警鐘を鳴らした光久師の先見の明が注目される。師の主張に共感する末寺住職が一人また一人と確実に増えていくにちがいない。

(憂宗護法同盟員より)

[47]TITLE:同盟通信 No.119-1  2008/5/3   
name:管理人


同盟通信 No.119 (2008.3.12)

“急告”

=隠尊夫人が時価1億数千万円のマンションを所有している事実が発覚した。マンション取得にひと役買ったのが、本山の建設事業を一手に請け負っている建設会社の社長であることも分かった。そのマンションに今度は百合子嬢が入居するという噂が出てきた。しかも百合子嬢はすでに麻布の一等地に時価7千万円は下らないというマンションを持っているのだ。困窮する末寺を尻目に、“ファミリー”はやりたい放題だ。末寺の財政逼迫は待ったなし。「末寺の統廃合」の話も持ち上がってきた。いよいよ情け無用の「サバイバルレース」が始まろうとしている。=
 東京都内の一等地にそびえる20階建ての高層マンション。オフィスビルと見まがうような頑強で荘重な作りのその建物の18階の一室。この部屋の所有者こそ「阿部政子」なのである。時価はなんと1億数千万円。政子夫人には、世田谷・等々カに、総額10億円もつぎ込んで建てた住まいがある。そんな豪邸がありながら、その上にこの“億ション”である。隠尊が死んだら建前上、政子夫人は等々カの邸宅に居座ることはできない。その時の備えのためか。それにしても、なんとも景気のいい話である。そのうえ今のところ、このマンションに当の政子夫人は住んでおらず、出入りしているのは娘・百合子嬢であるという興味深い事実がある。近々百合子嬢がここに引っ越すようだとの未確認情報もある。ところで、百合子嬢はこれとは別の数千万円のマンションを所有しているというから驚きだ。

 この高級マンション、登記簿によれば、まず竣工直後の平成14年7月に「佐野孝」という人物が取得し、その後の平成17年3月、政子夫人に所有権が移っている。この「佐野」氏とは、富士宮市の建設会社・川俣組の社長である。

 この川俣組が、本山とは切っても切れない深い関係にあることは宗内の“常識”だ。富士地域には60数社もの建設業者が存在するが、この川俣組は、本山の建設事業に必ずといってよいほど絡んでいるのである。明年の、「立正安国論正義顕揚750年」の記念事業として、御影堂の改修と併せて行われている塔中坊の建て替え工事も、この川俣組が一手に引き受けている。記念事業の目玉である御影堂改修の費用が約40億円であるのに対し、塔中坊の工事予算額は約100億円。当初、塔中坊の建て替えは10カ坊の予定だったが、いろいろと理由をつけて18カ坊に拡大。塔中坊の建て替え工事の言いだしっぺは隠尊だと書われている。川俣組に支払われる工事費用は一気に跳ね上がった。

 川俣組社長・佐野氏が件の高級マンションの一室を購入した時期は、奉安堂をはじめとする「宗旨建立750年慶祝記念」の建設事業を川俣組が請け負っていたころと重なる。そして、マンションの所有権が政子夫人に移った平成17年3月には、川俣組は、本山に隣接する国道や潤井川に架かる龍門橋の工事、さらに潤井川護岸整備などの大規模な周辺整備事業を仕上げている。このほか、川俣組が請け負った本山に関する事業は、総門の移転など枚挙にいとまがない。

 こうした背景を考えると、今回のマンションの所有権の移転はどうも胡散臭く感じられてならない。

 一方で、末寺の財政逼迫は予想以上のスピードで進んでいる。今や、約600ある全国の末寺のうち、本山の援助に頼らざるをえない寺が半数に迫る。食費や水道代、光熱費、子どもの養育費に事欠く寺は無数に存在する。

 当初は宗内僧侶を前に「粥をすすり、流浪の身となっても」と泣いてみせておきながら、その後、贅沢三昧にうつつを抜かし、コソコソと蓄財に走っている隠尊、そして政子夫人。

[46]TITLE:新改革通信 85号  2008/5/3   
name:管理人


新改革通信 85号 平成二十年四月二十七日発行

「謗法」呼ばわりして破門した、創価学会の供養で放蕩する
〃意地汚い〃日顕ファミリーが、宗門を食いつぶす!
「法教院」存続のため、十年後には三人に一人が無任所教師


 開目抄に云く
 「日本国に此れをしれる者は但日蓮一人なり。これを一言も申し出すならば父母・兄弟・師匠に国主の王難必ず来るべし、いはずば・慈悲なきに・にたりと思惟するに法華経・涅槃経等に此の二辺を合せ見るに・いはずば今生は事なくとも後生は必ず無間地獄に堕べし、いうならば三障四魔必ず競い起るべしと・しりぬ」(御書 二〇〇頁)
 建長五(一二五三)年四月二十八日、日蓮大聖人は安房国清澄寺で立宗宣言されたが、その宣言は、受難を覚悟の師子吼であった。
 そして、大聖人は予見通り、種々の難にあい、最後には、竜口で「首の座」にすえられたが、「これほどの悦びをばわらへかし」と、法華経に命を捧げることは、むしろ喜びであると、威風堂々とした御本仏の境涯を示された。
 この大聖人の不惜身命の精神を受け継いでいる真の弟子だけが、本当の意味で、「立宗宣言」の日を祝うことができる。その真の弟子こそ、「投獄」という大難を受けた創価学会の三代の会長であり、共に戦う創価学会のメンバーである。
 今の宗門の繁栄はすべて、その三代会長の外護の賜物である。ところが、日顕らはその大恩に対して「破門」という仇で返した。そんな畜生にも劣る日顕・日如らに「立宗」を祝う資格などない。いくら、宗門が立宗会の儀式を行っても、それは日蓮大聖人の御精神に違背し、かえって日蓮大聖人を貶めるものでしかない。
 
● 自分たちが正しいと言うなら、「身延離山」に習い、「謗法」の布施をすべてを捨て去れ

 日顕は正本堂を破壊した理由を、「謗法の団体」である創価学会が寄進したからだ、と言った。しかし、その理屈で言えば、本山の総坊なども含め、三百以上の学会寄進の寺院はすべて破壊されねばならない。
 それだけではない。長年、創価学会員から受け取った膨大な供養もすべて「謗法の布施」になる。
 日顕らが、自分たちに正義があると言うなら、「身延離山」に習い、謗法の団体から供養された寺院と供養金は、すべて捨て去るべきである。そうでなければ、筋が通らない。
 ところが、日顕は、正本堂以外の供養はすべて自分たちの物と言い、その供養金で放蕩を繰り返している。実に、金に汚い、卑しい人間たちだ。

● 政子の2億円近いマンションの購入費も、もとを糾せば、「謗法」の創価学会の供養金
 
 「同盟通信」で、日顕の妻、政子が二億円近いマンションを購入していたことが暴かれ、宗内外で大きな波紋を呼んでいる。
 では、その金はどこから出ているのか。もとを糾せば、それもすべて長年、創価学会員が供養したお金と言える。
 創価学会のことを謗法となじる一方で、その創価学会が寄進した寺院に住み、日顕ファミリーにいたっては、過去に学会員から受け取ってきた供養金を貯めこみ、それで贅沢をしている。信心以前に、人間としての節度がない。
 宗門は本年までの三年間で記念事業のための供養として、九十億円集めようとしているが、あと四十億円足りない。この供養収奪地獄で、信徒は悲鳴を上げている。
 こんな時に、隠居した法主の女房が2億円近いマンションを購入していたという話が広がれば、信徒は供養する気力が失せるであろう。

● 十年後には、三人に一人が無任所教師

 日顕は、すべての財を自分の物にして人に渡そうとしない、その醜い姿は「餓鬼」そのものである。その日顕の汚い成金根性が宗門を食いつぶそうとしている。そのいい例が、日顕が見栄のために作った「法教院」だ。
 宗門には、現在、約二百五十名の無任所教師がいる。そして、「法教院」を存続させるため、毎年二十名弱の得度者を受け入れている。
 宗門に幻滅して還俗する者を差し引いて、毎年、十五名の教師が誕生するとする。そして、かつて日顕が言っていたように、平均五名の住職が亡くなり、五名が住職になると計算すると、毎年、無任所教師が十名ずつ増えることになる。すると、十年後には無任所教師が三百五十名になる。
 住職等のポストは約六百五であるから、住職と無任所教師の比率から言えば、教師のうち三人に一人が無任所教師ということになる。

●三十年後に、半数が無任所教師ということも

 さらに、三十年後には無任所教師は五百五十名に、五十年後には七百五十名になり、全体の半数が無任所教師になる。恐ろしいことに、それ以降は、教師よりも無任所教師が多くなっていくのだ。
 ただし、これは今ある末寺が存続するという条件での計算だ。宗門の信徒である法華講は高齢者が多く、三十年後には、信徒数は激減し、末寺も廃統合されて、五百ほどになっているかもしれない。そうすると、すでに三十年後には、教師の半分が無任所ということも十分に有り得るのだ。
 
 おそらく、日顕の死後、「法教院」は閉鎖されるであろう。そうしなければ、宗門自体が潰れてしまう。そして同時に、日顕ファミリーの栄華もいつまでも続かないであろう。ファミリー以外の僧侶たちが、いつまでも黙っているはずがない。(編集部)

[45]TITLE:新改革通信 84号  2008/5/3   
name:管理人


新改革通信 84号 平成二十年三月十五日発行

「三月十六日」は創価学会が大聖人の御誓願を受け継いだ日。
今の宗門は、「檀家制度」の残滓でしかない。

 明日、三月十六日は、創価学会の「三・一六」五十周年の記念日である。
 五十年前のこの日、七十五万世帯の折伏を完遂された戸田第二代会長のもとに男女青年部六千名が集い、「広宣流布の模擬試験」と銘打った儀式が行われた。それは、戸田会長が広宣流布の使命を、池田参謀室長(当時)を中心とする、次代を担う青年たちに託すために、広宣流布の成就を想定して行われたのであった。
 この時の法主・淳師は、学会の大折伏に驚嘆し、時代を俯瞰する考察までしている。

<淳師曰く>
「此れを以て考えますと将来の歴史家は立宗七百年以前は宗門の護持の時代とし、以後を流通広布の時代と定義するであろうと思われます。これまでの宗門の歴史を見ますれば時に隆昌がありましたが、結局護持といふことを出なかったと考えます」(「開宗七〇四年を迎へて」)

 この日淳法主の言葉は決して個人的な考えではない。大聖人の御金言に沿った見解であろう。

<御金言に曰く<
「当に知るべし此の四菩薩折伏を現ずる時は賢王と成つて愚王を誡責し摂受を行ずる時は僧と成つて正法を弘持す」(観心本尊抄 二五四頁)

と仰せである。すなわち、折伏による「流通広布の時代」を築いた、創価学会の三代会長こそが、賢王であり、その賢王が率いる創価学会こそが、将来の広宣流布の運動を推し進めていく地涌の団体であるという意味である。

 宗門にとって「三・一六」の儀式が、総本山大石寺において行われた意義は、大聖人の民衆救済の化儀・広宣流布を、僧侶ではなく創価学会が受け継いだ、それを法主が承認した儀式となろう。

 信心弱く、弘教の力無き、護持のみの僧の時代は終わり、信心厚き、弘教の力ある、賢王による仏法流布の時代の到来である。これは淳師の考察である「以前は宗門の護持の時代とし、以後を流通広布の時代」に符合する。

 実は、日顕は「観心本尊抄」の講義で次のように述べている。

<悩乱前の日顕講義>
「法体の折伏は既に大聖人の御出現によって確立され、あとは日興上人以下、僧宝による伝持の折伏となりますが、問題は国王による化儀の折伏です。これは大聖人御出現当時より現在、そして未来へ向かう時の流れのなかに正法を篤く信仰してその威儀を顕し、法の威光を発揚するとともに、勧善懲悪の働きをなす大人格の出現であります」(「大日蓮」平成二年四月号 五六頁)

 日顕自身も、広宣流布は本来、「大人格」の出現によってなされると定義しているのだ。ただ、日顕は、池田名誉会長がその「大人格」であると認めたくないだけなのである。醜い嫉妬の生命が真実を受け入れようとしないのだ。

<悩乱後の日顕の話>
 日顕は次のように述べている。
「『これからの宗門においては創価学会を外して考えるべきではない』と言われ、そこで私は、寺院における僧俗和合という、自分の広布推進の考えは一時、見合わせ、創価学会が広宣流布の団体なんだ、僧侶として学会の発展のためにできる限りの援助をしなければならないというところに到達したのであります」(平成四年教師講習会)

 この「これからの宗門においては創価学会を外して考えるべきではない」と日顕に言ったのは日達法主である。

 しかし、それ以上に、〃自分が中心になりたい〃という慢心が強いのである。そこで、「寺院における僧俗和合」という考えに執着して、それが「本来の姿だ」と言い始めた。

 結局、日顕は「流通広布の時代」を「護持の時代」に逆転させたかった。そうしなければ、賢王より〃自分が中心になれない〃からだ。嫉妬に狂う「頭破作七分」の姿であろう。

●檀家制度「坊主丸儲けシステム」の行き着くところ=宗門の破綻

 日顕は創価学会出現以前の、僧侶絶対の時代の優越感が忘れられない。それはいわゆる檀家制度が作り上げた、布教をしなくても供養が入ってくる、「坊主丸儲け」のシステムでもある。

 このシステムがあるから、日顕らは自己を向上させることなく、夜な夜な遊び歩いていても、信徒から、供養を得ることができた。

 この甘い蜜の味が忘れられない日顕はまるで麻薬患者のように、時代が変わっても、同じ快楽を求めようとしている。

 それを象徴しているのが、今、彼らが行っている「大会」である。大阪にしても九州にしても、会合の内容は、宗門を外護すること、僧侶を養うことを信徒に誓わせるものだ。日顕も早瀬も、信徒に下僕のように仕えさせ、自己満足している。

 檀家制度の残滓でしかない、今の宗門のあり方はいずれ破綻する。大会に来ているのは圧倒的に高齢者が多い。もうすでに宗門は坂を下りつつあるが、彼らはそのことに気がつかない。不知恩の宗門は、提婆達多のように地獄の苦しみにあって、はじめてその罪の大きさを知るのであろう。

 そして、自分たちは「流通広布の時代」に賢王の弘教と、その供養によって救われていたのだと思い知ることだろう。(編集部)

[44]TITLE:新改革通信 83号  2008/5/3   
name:管理人


新改革通信 83号 平成二十年二月十五日発行
発行元 : 日蓮正宗改革同盟

あらためて明らかになった宗門の存在意義
宗門を「反創価学会の団体」としてか取り上げないマスコミ
世間から見れば、創価学会の影としての存在でしかない!


 明日、二月十六日は、宗祖日蓮大聖人が御生誕されてから、七百八十六年目となる。大聖人の六十一年の御化導は、不惜身命の一語に尽きる。一切衆生救済の誓願を果たすため、種々の大難に遭い、極寒の佐渡に流された。
 この大聖人の崇高な精神を受け継いだのは誰か。それは歴史に厳然と残されている。
 牢獄にあっても看取を折伏し、取調べにおいても堂々と正義を主張した牧口・創価学会初代会長。そして、その偉大な師と共に投獄され、獄中で「仏とは生命である」と覚知された戸田・二代会長。そのお二人の遺志を受け継いだ池田・三代会長も投獄され、権力と対峙した。
 民衆救済の誓願に生き抜いたこの三代の会長こそが、大聖人の信心の血脈を継いでいるのだ。
 
●常に「主役」は創価学会
 
 去る二月三日、宗門は大阪の京セラ・ドームで大会を開き、週刊誌が記事にして掲載した。中吊りの広告には次のような見出しが載った。
「反創価学会」3万人が大阪に集結した「大石寺」決起集会 
 この見出しを読んで分かるように、彼らが注目しているのは、「信徒倍増」という大会の意義ではなく、「反創価学会」という存在なのである。すなわち、「日蓮正宗」そのものには興味がなく、主役は創価学会なのである。
 マスコミにとっては、反創価学会キャンペーンに使えれば、それがどんな団体でも構わない。今回はたまたま、それが宗門であったというだけだ。
 実際に集まったのは、せいぜい、二万五千人程度である。しかし、マスコミにすれば、多いほうが記事になる。彼らは宗門のためではなく、自分たちのために水増しして書いているのである。
 
●今の宗門には「反創価学会」としての意義しかない
 
 裏を返せば、創価学会の存在がなければ、宗門が世間の注目を浴びることは有り得ないということだ。まるで、創価学会の影である。太陽が昇るからこそ、影ができる。太陽の存在がなければ、影は存在しない。
 簡単に言えば、今の宗門には「反創価学会」としての意義しかないということだ。
 しかし、これは、決してマスコミだけの責任ではない。宗門の自業自得なのである。
 今までに、何度も述べてきた通り、日顕宗は日顕の池田名誉会長と創価学会に対する憎悪から生まれた団体である。
 未曾有の世界広宣流布を成し遂げた池田名誉会長に嫉妬した日顕が、「C作戦」という謀略で、創価学会を破門にし、その日顕の暴挙に与同した者たちによって生まれたのが、今の宗門、「日顕宗」である。
 その結果、彼らのすることは、すべて、池田名誉会長と創価学会に対抗することが目的になる。今回の「信徒倍増」も、その根本には、日顕の〃創価学会に負けない勢力を作りたい〃という歪んだ欲望がある。そして、日如もその日顕の「命題」という言葉でカモフラージュされている嫉妬心を引き継いでいる。
 だからこそ、今回のように、マスコミの反創価学会キャンペーンに利用されるのだ。
 
●宗門にとって信徒は利用する材料
 
 宗門の行動は、常に創価学会への対抗意識から生まれている。ということは、必然的に、信徒はその学会に対抗するための材料であり、僧侶の生活を支える糧でしかないということになる。
 折伏においても、日顕らには、民衆救済という誓願のかけらもない。宗門の折伏の目的は、ひとつには創価学会への対抗であり、もうひとつには、僧侶の安定した生活を実現するために、供養する信徒を増やすことである。だから、「信徒倍増」という言葉だけで情熱が生まれないのである。
 宗門の僧俗差別は根深く、僧侶は号令をかけるだけで、実際に動くのは信徒であるという意識が消えない。だから、一向に折伏は進まない。
 今回の彼らの京セラ・ドームでの大会における信徒の待遇を見ても、宗門の信徒蔑視の体質が如実に現れている。そこには、信徒の安全というものはまったく考慮にない。まず、僧侶の安全と待遇が優先される。
 特に信徒の輸送計画は、高齢者を長距離にわたって歩かせたり、食事を満足にさせなかったり、睡眠も十分ではなく、無謀としかいいようがない。これでは、いつ事故がおきてもおかしくない。とても、創価学会の行事では考えられないことだ。
 
●反創価学会の感情で我慢している信徒たち
 
 宗門の多くの信徒が住職たちに多くの不満を持っている。しかし、それでも信徒たちが、今の宗門に対して我慢しているのは、〃反創価学会〃という感情による。もし、今、自分たちが露骨に不満を言えば、反創価学会の運動に支障がでると考えて、敢えて何も言わないのである。
 しかし、こういう感情は長続きしない。その証拠に、この数年、以前にも増して信徒のクレームが増えている。時間が経てば経つほど、この憎しみの感情は薄くなり、それに比して、宗門に対する不満が激しくなってくることは間違いない。「只今に自界反逆難とてどしうちして」(御書二八七頁)とはまさにのこのことである。
 そういう意味では、宗門が自壊するのは時間の問題である。(編集部)

[43]TITLE:新改革通信 82号  2008/5/3   
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新改革通信 82号 平成十九年十二月二十七日発行
発行元 : 日蓮正宗改革同盟

創価学会出現以前の宗門は、「死に体」だった(六)
「日蓮正宗」になって、まだ九十五年。清浄だったのは、創価学会と和合していた時だけ

 
 平成二年十二月二十七日、 日蓮正宗の宗規が改正されたことに伴い、池田大作法華講総講頭ほかが資格を喪失した。「C作戦」の実行であった。
 権力抗争で「死に体」であった宗門を復興させた創価学会の大恩に対して、日顕は仇で返したのである。繰り返して言うが、それは、日顕が宗門の再生の道を自ら放棄したことを意味する。

● 「日蓮正宗」九十五年、「創価学会」七十七年
 
 宗門は、「七百年の歴史」と宣伝しているが、実際には、富士門流、日蓮宗興門派、日蓮宗富士派と、日蓮宗の弱小一派でしかなかった。
 それが「日蓮正宗」と認可されたのは、一九一二(明治四十五)年、第五十七世法主・日正の時である。それから、九十五年しか経っていない。
 そして、創価学会設立が、一九三〇(昭和五)年、七十七年の歴史。十八年の差でしかない。
 
●独立した途端、身延派の「大師号」運動に参加
 
 今まで、どこの教団からも相手にされていなかった大石寺は、一宗となったが、まだ、劣等感が強かったのであろう。大教団に仲間入りをしたくて、早速、「大師号」請願運動に参加する。
 これは、顕本法華宗の本多日生が中心となって、大聖人に大師号をもらおうとする運動であった。
 この時に、宗門でこの運動を積極的に進めたのが、当時、宗務院総務であった日顕の父・阿部法運(日開)であった。

●身延に大聖人の墓があることを認めた日開
 
 さらに、身延派の最有力教団の日蓮宗は、「立正」の勅額を身延山の御廟に掲げることを画策した。そのために、日蓮宗は、宮内大臣及び文部大臣に請願書を提出した。
 そして、勅額降賜の条件として、日蓮宗に対して、他の日蓮宗各派が大聖人の墓が身延山にあることを認め、勅額降賜に皆が賛成したことを証明する「念書」の提出が求められた。この時、阿部日開も、この念書に自署押印したのである。
 日顕は禅寺に墓を建てたが、親子して墓にまつわる謗法を犯しているのである。

● 創価学会が出現するまでの十八年間は、謗法、派閥争い、腐敗堕落が充満
 宗門は「日蓮正宗」になった途端に、謗法与同から始まり、法主の地位をめぐる派閥争い、そして、供養を遊興で浪費するという堕落ぶりを見せている。
 そして、その凋落は、創価学会が出現するまで続き、戦後の宗門はその貧しさから、大石寺の観光地化まで検討していた。
 このように腐敗・堕落して信仰を失っていた宗門だからこそ、戦時中に軍部から脅されて、簡単に神札を受けたのであろう。

●宗門の本質を見抜いていた牧口会長

 牧口初代会長は、昭和十七年十一月の創価教育学会第五回総会で、「日蓮大聖人御在世当時の天台宗は、現今の日蓮宗の中でも『日蓮正宗』に相当すると思はれる」と言われている。
 大聖人在世の天台宗は、法華経が最高の法であると知っていながら、邪悪と戦わず、それどころか、大聖人を迫害する側に回った。
 牧口会長は宗門の僧侶と接し、彼らが広宣流布など眼中になく、権力と金銭にしか興味がないことを見抜き、やがて僭聖増上慢として、創価学会を迫害して来るであろうと感じていたのである。
 事実、その翌年、昭和十八年六月、牧口会長と戸田理事長は本山で、六十二世日恭から、神札を受けるように言われ、それを拒否した二人は、軍部の迫害を恐れた宗門から「登山停止」の処分を受けた。
 その結果、何が起こったか。日恭は客殿の火事で焼死し、牧口会長は牢獄で殉教された。仏罰と不惜身命、正邪が明らかになった。
● 創価学会だけが、大聖人の血脈を守った

 「信心の血脈なくんば法華経を持つとも無益なり」この大聖人のお言葉に従えば、謗法与同の大石寺に血脈はなく、謗法厳戒を貫いた創価学会が血脈を受け継いだことになる。
 すなわち、すでに信心の血脈を失った宗門は、血脈を受け継いだ創価学会と和合していたから、功徳と発展があったのだ。
 日顕はこのことが、まるで分かっていない。僧侶主導の体制を作るために、日顕は創価学会を破門にしたが、それは、大聖人の血脈を受け継いでいる、唯一の和合僧団から、自ら離れてしまったことを意味している。
 
 今回、六回にわたって、創価学会出現以前の宗門の歴史を紹介した。その意図は、創価学会の存在がなければ、今の宗門など跡形もなかったということを、宗門の所化たちや法華講員に知ってもらうためである。
 もし、宗門が滅亡を逃れることができるとすれば、それは中にいる者たちが真実に目覚めるしかないからだ。
 将来の宗門を背負う世代が、日顕の犯した罪の大きさに気付き、創価学会と歴代会長に対する大恩に報うべきであると立ち上がる時が来ることを我々は、願っている。
 また、それ以上に、我々は大聖人の弟子として生き抜くことを決意している。だからこそ、広宣流布の妨害をする日顕らを絶対に許さないのである。(このシリーズ終わり)

[42]TITLE:新改革通信 81号  2008/5/3   
name:管理人


新改革通信 81号 平成十九年十二月二十六日発行
発行元 : 日蓮正宗改革同盟

日蓮正宗の「再生」の道を放棄した日顕の大罪!
創価学会出現以前の宗門は、「死に体」だった(五)


●「隠尊料」問題で新聞沙汰に

 文部省の調停により、日蓮正宗の法主の座をめぐる争いは終えたかのように思えたのだが、今度は日柱法主の「隠尊料」問題が浮上した。
 隠尊料は調停合意の時点では、現金三千円と白米七十俵であったが、三月八日の相承の後で、現金一千円と白米二十五俵に減らされたと、ある「正法擁護会」の者が暴露してしまったのである。
 当時の『朝日新聞・静岡版』(大正十五年三月三十一日)には、以下のような見出しが出ている。
「むし返された大石寺の紛議」
「妥協案を守らぬとて前管長派が怒り出す」
 また、新聞には「前管長に対する待遇」として、以下のように掲載されている。
一、御隠尊料として大石寺より金三千円を呈上する事
二、糧米として大石寺より玄米七十表を呈上する事
三、御隠尊所として新築住宅を呈上する事
 
 日顕も退座にあたり、隠尊料をもらっているのであろうか。約十億円をかけて改築された世田谷の豪邸もこの慣例にしたがっているのであろうか。だとすれば、金銭的取引の血脈だけは、滔々と受け継がれていることになる。
 
●権力抗争の裏で腐敗堕落していた宗門

 創価学会出現以前の宗門は、猊座をめぐる派閥争いに終始していたが、それだけではなく、その裏で僧侶の腐敗堕落が進行していた。
 まず、日如がその血を引いているという、五十六世日応に関する新聞報道があるので、紹介する。
 『静岡民友新聞』(明治四十一年十月二日付)
「日応の人となり」
元来大石日応は人も知る如き色魔にて東京に妾を置き又大宮(注・今の富士宮)其他附近に出でては飽くまで不品行を恣にして恥ぢぬ程の者にて檀家一千名に上り名だたる大寺に居りながら一万円にも及べる借財に今は困む身となりて退職して後任の大学頭を選任し不埒にも借財の尻を此際有耶無耶に葬らんと考へ(以下略)
 説明を加えると、日応が妾を囲うなどの遊興で使った一万円は現在の一億円に相当する。

●日開は、書類送検された者を法主として選んだ
 
 近代の法主の中には、単なるスキャンダルだけではなく、背任罪に問われて書類送検された者もいる。日開が相承した日隆がそうである。『読売新聞』(昭和五年十二月二十九日付)の見出しが衝撃的だ。
「宗務総監が妾ぐるひで背任」
 記事には「日蓮正宗の本山富士大石寺宗務総監である本所区向島小梅町常泉寺住職水谷秀道師(五六)」とはっきりと記載されている。
二十六日水谷師は『背任罪』として一月四日の御用始めに一件書類を東京地方検事局に送ることになった。同師は二年前常泉寺住職となり、続いて本山の宗務総監になったが以来、前記待合を根城として、僧侶の身分を忘れて豪遊し、浅草公園の芸妓紋弥こと、諸岡はつ(二一)を落籍して外妾として囲ひ寺有財産約九千円を費消したほか約三万円の手形を乱発していた破戒行為を同署椎名刑事に探知されたものであるが(以下略)
 この水谷が浪費した、当時の三万九千円は、今の一億円に相当する。
 日応にしても、この日隆にしても、その浪費した金額は、今の「一億円」という、巨額なものだ。要するに、宗門の異常な腐敗堕落は、明治の時代から始まっていたということである。

●日亨法主の宗門改革を邪魔した役僧たち

 五十九世に就任した日亨法主は、この権力闘争に明け暮れる宗門の改革を必死に目指した。しかし、『告白』に「昨年の宗制改正案について自ら七八の新案を参考に提出せしも起草委員又は宗務職員又は評議員等が其中の重大案までも殆んど黙殺せる」とあるように、役僧たちがその改革を阻止したのである。
 日亨法主は、本山の役僧たちが自分たちの利益にしか興味がないことに呆れ果てた。それよりも、念願の御遺文集を作ることに専念したい――『告白』には退座の大きな理由として、「二三十年必死と念願せし編纂著作の聖業も泡沫と散り失する如何にも死んでも死にきれぬ残念さである、此が先づ大々主因である」とある。
 
 日亨法主は隠尊後、『富士宗学全集』の発行、『御書』編纂に全精力を傾けられ、本来、秘伝である相伝書を公開した。それは、誤った法主が相承を神秘化し、それを権威にして宗内僧俗を従わせることが今後も起こる。否、広宣流布が近づけば近づくほど、必ず、そういう事態が起きると予見していたからであろう。
 念願の『御書』の編纂では宗内の援助は乏しく、戸田会長を中心に、学会が全面的に協力をして完成した。当時の宗門は、『御書』の編纂よりも、戦時中、軍部に供出して、なくなっていた「梵鐘」作りを優先していた。情けない話である。
 ある時、日亨法主は戸田会長に言った。「あなたが、四百年前に生まれてきていたら、日蓮正宗はこれほど滅びはしませんでしたろう」と。また、「戸田さん、あなたがいなかったら日蓮正宗はつぶれていたよ」と述べたこともあった。
 この当時の宗内の猊座をめぐる権力闘争の内幕と腐敗堕落ぶりを知れば、この意味はよく分かる。まさに、日蓮正宗は自力では蘇生できない「死に体」だったのだ。(続く)

[41]TITLE:新改革通信 80号   2008/5/3   
name:管理人


新改革通信 80号 平成十九年十二月二十五日発行
発行元 : 日蓮正宗改革同盟

日蓮正宗の「再生」の道を放棄した日顕の大罪!
創価学会出現以前の宗門は、「死に体」だった(四)

 今でこそ、日蓮正宗の信徒は僧侶に絶対服従を強いられているが、かつては、
信徒が法主の就任に対して、大きな影響力を持っていた。

●檀信徒の宗会糾弾が、文部省を動かす

 日柱法主を擁護するために結成された「正法擁護会」は、同じく日柱派の東
京の檀信徒たちと協力を始める。そして、新年早々、大正十五年一月十六日午
後一時より、神田和泉橋倶楽部において、「全国檀徒大会」を開催した。彼ら
は、この大会で宗会の横暴を天下に訴えた。

この日蓮正宗の紛争を沈静化させるため、文部省宗教局は、選挙によって管長
候補者を選出することを決定。被選挙権者の資格は権僧正以上とされ、阿部法
運は、僧階を降格されてから一年未満であったため、被選挙権者から除外され
た。

 その結果、被選挙権者は、日柱法主、堀慈琳(後の五十九世日亨法主)、有
元廣賀(品川・妙光寺住職)、水谷秀道(後の六十一世日隆法主)の四名とな
った。

● 日柱法主が〃相承拒否〃

 ここから、事態はさらに深刻化していく。一月二十五日、日柱法主が、突如、
『宣言』なるものを発表。そこには「不合理極まる辞職が原因となりて行はれ
る選挙に於て、日柱以外の何人が当選されたとしても、日柱は其人に対し、唯
授一人の相承を相伝することが絶対に出来得べきものでない事を茲に宣言する」
と、“相承拒否”という驚くべき内容が書いてあった。

●警官立会いのもとで行われた管長選挙

 そのような事態の中、大正十五年二月十六日、管長選挙がおこなわれた。そ
の模様を『静岡民友新聞』(大正十五年二月十六日付)が次のように報じてい
る。

 屡報宗門の恥を天下にさらし、宗祖以来七百年の誇り、血脈相承も棄てゝ管
長選挙に僧侶と壇信徒が対立して醜争をつづけている日蓮正宗大本山富士郡上
野村、大石寺の管長選挙も今十六日を以て投票を終り明け十七日開票の筈だが、
開票の結果は、壇信徒派擁立の土屋前管長の当選は到底覚束なく、僧侶派擁立
の現管長事務扱、堀慈琳師の当選は疑ふ余地なき確実なものと観測されている。
所轄大宮署では開票当日の大混乱を予測して官、私服の警官十余名特派し警戒
に努める模様だ

 管長選挙の開票に警官十余名が動員され、日蓮正宗内の対立は世間の物笑い
の種となった。
新聞の予想通り、二月十七日午前九時五分より行われた開票の結果は、日亨上
人の圧倒的な勝利で終わった。

●前代未聞の警察の介入、文部省による調停

 ところが、この開票日に、また事件が起こる。大奥に大宮警察署の警部補が、
数名の制服警官を伴ってあらわれた。

 日柱法主擁護派が、〃日柱法主が辞表を書いたのは脅迫によるものだ〃と、
宗会議員、評議員総計二十一名を告訴したのである。

 その結果、翌十八日より関係者一同は、大宮署において取り調べを受けるこ
とになる。日蓮正宗の宗内抗争は、警察の介入という最悪の事態を迎えてしま
った。

 大宮署の取り調べにより、前号で紹介したとおり、日柱法主に嫌がらせを行
った二人の僧侶は、書類送検された。この他、十一名の僧侶が、日柱法主に対
する脅迫の嫌疑をかけられた。その中には、早瀬日如の祖父、早瀬慈雄も含ま
れていた。

 『朝日新聞・静岡版』(二月二十六日付)
 「大石寺事件送局 正法派は新管長の不認可を宗務局に運動」
日蓮正宗の本山富士郡上野村大石寺土屋前管長脅迫事件は去る十七日以来大宮
署において取調べを進めて居るが同寺宗務院の加藤慈仁(二二)及び同郡上野
村蓮成寺川田米吉(二八)の両人が脅迫の事実を自白しその証拠もあがつて居
るので二十四日一件書類を送局したが一方正法擁護派の田連(征)、中村、松
本、藤原の四氏は去る二十日文部省に下村宗務局長を訪問し不合理な選挙によ
り管長に当選した堀慈琳師の不認可を陳情し局長も之を諒としたる由送局納書
に乗つた人々は左の如くである

 駿東郡浮島村本廣寺 水谷秀道(五三) 東京南品川妙光寺 有元廣賀(六
〇) 大阪府堺市本俸 寺 小笠原慈聞(五二) 大石寺理境坊 相馬文覚
(三八)同交成坊 下山廉琳(四九) 同寂日坊 中島虜政(五七) 同歓行
坊 西川眞慶(五八) 同百貫坊 阪本要道(四六) 東京向島法道寺 早瀬
慈雄(四八) 日蓮正宗横浜教会 松本諦雄(三六) 駿東郡浮島村蓮楽寺
太田廣伯(五九)

 結局、この最悪の事態を治めたのは、文部省宗教局長による調停であった。
この調停により事態は急変した。

 日柱法主は相承を行うことを表明し、三月八日午前〇時から、本山において
日柱法主から日亨法主への血脈相承の儀が執りおこなわれた。そして、四月の
十四日、十五日に、代替法要が催された。

 この宗門の混乱はここで終わったわけではなかった。このような事態が二転、
三転して続くのは、当時の僧侶だけでなく、信徒も信仰を失っていたからであ
ろう。(続く)

[40]TITLE:新改革通信 79号  2008/5/3   
name:管理人


新改革通信 79号 平成十九年十二月二十三日発行
発行元 : 日蓮正宗改革同盟

日蓮正宗の「再生」の道を放棄した日顕の大罪!
創価学会出現以前の宗門は、「死に体」だった(三)

 日顕の父、日開こそ、近代の宗門を混乱に陥れた張本人であると言っても過
言ではない。
事実、日開による「日柱法主引き落とし事件」は、宗門内の派閥争いで収まら
ず、文部省や警察を巻き込む大事件に発展した。
 そして、その恥ずべき事件は、当時の新聞で報道され、世間の知ることとな
ったのである。

●怨念に取り憑かれていた日開

 大正十四年(一九二五年)十一月十八日から、大石寺において宗会が開かれ
た。この宗会の初日に、二十六名の僧侶が秘密裏に日柱法主を追い落とすため
の「誓約書」に署名していた。

 その「誓約書」は、「現管長日柱上人ハ私見妄断ヲ以テ宗規ヲ乱シ、宗門統
治ノ資格ナキモノト認ム、吾等ハ、速カニ上人ニ隠退ヲ迫リ宗風ノ革新ヲ期セ
ンカ為メ、仏祖三宝ニ誓テ茲ニ盟約ス」との一文から始まり、八項目にわたっ
て日柱法主への批判が書いてある。

 そして、その四番目に「阿部法運ニ対シ強迫ヲ加ヘ僧階降下ヲ強要シ」とあ
る。
 阿部は、この宗会の約四カ月前に日柱法主より処分され、総務の職よりはず
されただけではなく、能化より降格されていた。

 能化の地位を失うということは、管長候補者としての資格を失うことを意味
していた。この阿部の処分は、日蓮宗系の学者であった清水梁山との問答で、
阿部が失態を演じたことが原因であった。

 日柱法主の退座理由に阿部の処分問題が挙げられているということは、この
「誓約書」の作成に阿部が大きく関与していたという証左である。

 日開が、自分を処分した日柱法主に対して、怨念を抱いていたであろうこと
は想像に難くない。

● 日開らは、法主を三宝に入れていなかった

 この「誓約書」を読んで分かる通り、当時は法主を批判するのに、「仏祖三
宝ニ誓テ」いる。すなわち、法主は三宝に含まれていなかったということであ
る。

 日顕らは、盛んに「法主は三宝の一つであり、法主批判は三宝破壊」と叫ん
でいるが、その論法で言えば、誰よりも日顕の父・日開こそ、三宝破壊の者に
なってしまう。

 日顕が、自分たちに都合の良いように、三宝の定義をコロコロ変えるから、
自分だけでなく、父親の首を絞める結果になるのだ。

●新聞で「脅迫事件」と報道される

 宗会は「誓約書」の筋書き通り、二十日に突如、日柱法主の不信任を決議し
て、辞職を勧告した。同時に日柱法主への嫌がらせも行われ、十八日の夜半、
客殿で勤行中の日柱法主に対して、ピストルのような爆発音をさせて威嚇した
り、客殿に向かって瓦や石を投げつけた僧侶がいた。

 蓮正寺住職河田がその事実を自供したことが、当時の『朝日新聞・静岡版』
(大正十五年二月二十日付)に書かれている。

 大石寺の脅迫事件 取調大に進行
 日蓮正宗大石寺管長脅迫事件の取調べは大いに進行し大石寺の最高幹部の僧
侶十三名は夫々大宮署に召喚十八日深更まで取調べ 身柄は一時放還されたが
大宮署では有力なる証拠を握つたらしく更に十九日には柚野村蓮正寺住職河田
正平(二六)を召喚取調べたが その結果昨年十一月十八日夜半前管長土屋日
柱師が本殿にて勤行中ピストルやうの爆音をさせたり本殿に向つて瓦石を投げ
つけたことなどを自供したので 共犯関係にある大石寺宗務院加藤慈忍(二
二)をも同日午後引致し 教さ関係について取調べ中で事件は各方面に波及す
るや大石寺問題は遂に破裂訴訟ざたとなるうである

 結局、日柱法主は二十二日に辞表を書き、当時の宗会議長であった小笠原慈
聞ほか三名が同日にその辞表を文部省に届出。届出の手続きは二十四日に完了
し、次期法主は「誓約書」にある通り、堀日亨法主とされた。

● 檀家が宗会の退座要求は不当と訴える

 ところが、大石寺の檀家総代らが、自分たちに何の相談もなく事が進められ
ていたことに怒り、二十七日の早朝、三名の代表を文部省に行かせて、宗会の
退座要求が不当であると、陳情を行ったのである。

 文部省宗教局は、檀家総代らの陳情に基づき、二十九日、三名の僧侶を召喚
した。そして、宗教局長はこの三名の僧に対し、
「貴僧等は社会を善導教化すべき責任の地位にありながら今回の暴挙を敢て為
すは何事か」(『静岡民友新聞』大正十四年十二月三日付)

 と厳しく追及し、十二月一日までに、日柱法主に対する不信任決議書と辞職
勧告書を回収して、文部省に提出するよう命令したのだった。

 帰山した三名は日柱法主に対し、二通の書面の返却を懇請したが、書面はす
でに檀家総代の手に渡っていた。大勢は逆転し、宗会側僧侶三名は、日柱法主
と上野村村長の立ち会いのもと、詫び状を檀家総代に提出し、やっとのことで
二通の書面を返却してもらった。

 宗会議員たちは十二月二十四日に管長の交替を文部省に届け、五十九世法主
は日亨上人に決まった。しかしここから、大石寺は二つに分かれ、泥沼の争い
が始まる。

 これが、創価学会出現以前の宗門の実態である。とても、日蓮大聖人の正義
を受け継いでいる姿とは思えない。さらに、事態は、信徒を巻き込んで、悪化
していく。(続く)

[39]TITLE:新改革通信 78号  2008/5/3   
name:管理人


新改革通信 第78号 平成十九年十二月二十一日発行
発行元 : 日蓮正宗改革同盟

日蓮正宗の「再生」の道を放棄した日顕の大罪!
創価学会出現以前の宗門は、「死に体」だった(二)

 歴史には、常に事実があらわれる。その事実を知ることにより、私たちは、
宗門が自分たちの都合に合わせて作っている「迷信」を看破することができる。

 前号で、日顕が信徒に知られることを恐れていた、「日盛法主失踪事件」に
触れたが、故・河辺慈篤も日盛法主関連の資料を持っていたと言われている。

 そして、それは「相承」にも関係するものであったという。だから、日顕は
河辺がその資料を公開するのではないかと恐れていたというのだ。

 その内容は『日霑上人伝』からも読み取ることができる。

●法主が相承せずに失踪。僧俗会議で法主を選出

 まず、『日霑上人伝』には「其の年十二月大衆檀徒等、学頭広道院を大坊へ
請待す 五十三世日盛上人是なり」と、日盛法主が大衆檀徒等により、法主と
して選出されたと受けとめられる記述がある。

 また、同伝には、日盛法主が失踪して、日英法主が再度登座した時のことを、
「盛師の還住歟然なくば英師の御再住あらん事を只管に懇望す 是に於いて衆
檀会議の上、英師御再住の事に決し予を迎ふ」と説明している。

 これは〃日霑法主が、日盛法主が猊座に戻るか、もしくは日英法主が再び登
座するように強く望んだが、衆檀会議で日英法主が再び登座することに決まっ
た〃ということである。ここでも「衆檀会議」すなわち、僧俗会議で次期法主
が決められたことが明記されている。

 また、本来であれば、六月に、日盛法主の「代替り法要」が執り行われる予
定であったが、日盛法主は五月に失踪してしまった。すなわち、日盛法主は、
「代替り法要」も経験せず、また、誰にも相承することなく退座した法主にな
る。

 宗門では血脈相承を「唯授一人」と言っているが、史実を見れば、僧俗の会
議で法主を選んだ場合もあるし、選挙で法主を選出した時期もある。また、焼
死した法主もいれば、相承もせずに失踪した法主もいるのだ。

 宗門は信徒が事実を知らないことをいいことに、自分たちに都合の良いこと
しか、教えない。しかし、そのような子供騙しが、いつまでも通じるはずがな
い。

 私たちは、一人でも多くの方が、正しい判断をできるように、あえて、宗門の
「秘史」を公開している。

●以前から「除歴」を恐れていた日顕

 日霑法主と日盛法主の確執は非常に深く、日顕はある僧侶に、「日霑上人は
日盛上人を歴代から除けと怒っていた」と語っていたという。

 日顕にとってこれほど恐ろしい話はない。もし、このような相承の裏面史が
世に出てしまえば、法主の権威が地に堕ちてしまう。何よりも、日霑法主が日
盛法主を「除歴」したがっていたという史実も露になってしまう。

 事実、河辺はそのことを知っていたから、学会が破門された後、日顕につい
て「将来、歴代からはずすしかない」と語ったのである。

●派閥争いの中心人物であった日顕の父

一八六〇年代に表面化した日霑法主と日盛法主との間の確執はやがて、「蓮葉
庵系」と「富士見庵系」との派閥の争いを生んでいった。

 この蓮葉庵とは、塔中坊の一つで開基は日霑法主である。富士見庵は、日英
法主が隠居所として使っていた坊である。すなわち、「蓮葉庵系」は五十二世
日霑法主の法系であり、「富士見庵系」は五十一世日英法主と五十三世日盛法
主の法系である。

 日顕の父親の阿部法運(六十世日開)は蓮葉庵系であった。そして、その阿
部と法主の座を争った有元広賀は富士見庵系である。

 この時に有元派は「有元推薦人一同」の名で『聲明書』を出しているが、そ
こに有元を推す理由について「蓮葉庵系の人は、四代も續いて猊坐に上つてゐ
るのに、富士見庵系の方は、一人も出ない、イナ出さないのであります。故に
今度有元師を出し、次に阿部師を出したならば、所謂謙譲の美徳を表現するこ
とになるからであります」とある。

 この「四代も續いて」というのは、五十六世日応法主、五十七世日正法主、
五十八世日柱法主、五十九世日亨法主のことである。だから、有元派としては、
今回は富士見庵系の有元に猊座を渡せ、と言っている。まるで政治の世界であ
る。

 これに対して蓮葉庵系の阿部派は『辨駁書』を出し、「蓮葉庵系がどうの富
士見庵系がどうのと淺見を振りまかぬがよからう、英師系の榮へたのも霑師系
の榮へたのも時と努力である、(中略)要するに吾々は宗門統治の上に於て系
統の消長を論ずべきものではない、只時の大勢次第で宗門の治まり方を考へね
(ば)ならぬものと思ふ」と反論している。

 いかにも、善人ぶった言い方であるが、当時の事情を知る者から見れば、こ
の阿部派の言い分は笑止千万だった。なぜなら、五十八世日柱法主を猊座から
引きずり降ろした黒幕こそ、阿部だったからである。

 そして、この「日柱法主追い落とし事件」ほど、宗門の血脈神話を崩壊させ
たものはない。何も知らないであろう、宗門の所化たちのためにも、引き続き、
宗門史の裏を明らかにしていく。(続く)

[37]TITLE:新改革通信 77号  2008/5/3   
name:管理人


新改革通信 77号 平成十九年十二月十九日発行

発行元 : 日蓮正宗改革同盟

日蓮正宗の「再生」の道を放棄した日顕の大罪!
創価学会出現以前の宗門は、「死に体」だった(一)

 今月、日顕は齢八十五になった。日顕のこの八十五年間の人生を後世の歴史家はどのように位置づけるであろうか。
日顕の人生は、宗門の歴史と照らし合わせることによって、その悪の所業が、一層明らかになる。
すなわち、腐敗しきっていた宗門を救ったのが、創価学会である。創価学会出現以前の宗門は、権力と金に塗(まみ)れていた。創価学会の存在がなければ、宗門が発展することなどなかったであろう。
ところが、日顕は、その大恩ある創価学会を破門した。そして、その結果、宗門は再生の道を絶たれ、再び、腐敗・堕落の世界に戻ってしまったのである。
今回は、創価学会出現以前の宗門が、如何なる状態であったか、その実態を述べる。

●日顕が恐れた、『日霑上人伝』の再版

近代の宗門の歴史を紐解くと、宗門の僧侶たちが法主の地位をめぐって醜い争いに明け暮れていたことが分かる。
平成元年六月、五十二世日霑法主の百回忌を記念して、五十年前に出版されて絶版になっていた『日霑上人伝』が再版された。これは自筆の自伝に堀日亨法主が補筆したものである。
その際に日顕は「内容的に赤裸々な形の所もあり、一般の信徒の方に広くお分かちするには多少どうかと思われる」と評している。すなわち、その『日霑上人伝』には、一般の信徒に知られたくない内容があるという意味である。
その内容とは何か?
日霑法主自筆の自伝を初めて公開したのは、宗門機関誌『布教会報』であるが、明治二十四年五月に発行された第二十一号の連載の第五回目で、前号の内容が大幅に削除されることになった。
ところが、再版された『日霑上人伝』には、その削除された箇所が、そのまま掲載されていた。日顕が一般信徒に知られたくないという内容はこの削除された部分のことであった。

●削除された宗門史の暗部

削除されたのは以下の文である。
爰に一山の大衆事情ありて大に沸騰し挙って盛師に迫る 予聞くにたへず窃に是れを扱へども其の彊ゆべからざるの事情を聞くを以て且く身を遠地に隠し其の平穏を待たんと欲し、其の廿一日徒弟慈含僕藤平を具し窃に山を発し出府す 是十度目。
時于衆徒此れに驚き盛師と和融に至りし旨を以て塔中惣代として久成坊、檀中惣代として井出与五右衛門(狩宿伝右衛門の父)出府し亦タ英盛両師よりも懇請の尊書あるを以て止を得ず其の五月初旬、久成坊等同伴にて帰山す 蓋し此の時に当って盛師は其の先非を覚り謝表を残して下之坊へ隠遁の由し之を聞く」
ここに書かれているのは、大石寺で起きた火災により、その責任を問われ、時の法主・五十三世日盛が、失踪した事件である。
「一山の大衆」とは僧侶たちのことであり、「事情」というのは、日盛法主が登座後に起きた、大石寺の火災である。この火事は慶応元年(一八六五年)二月二十八日夜半、大石寺大坊の下男部屋から出火し、客殿・六壺・大坊などが焼失した。
このことで僧侶たちが、五十三世の日盛法主を追及し、前法主・日霑は、僧侶たちが、日盛法主を追及するのを聞くに耐えず、密かに大石寺を下りた。
ところが、日霑法主が下山したことを知った僧侶たちは驚いて、にわかに、日盛法主と和解した。そして、塔中の代表と檀家の総代が、隠居の日英法主(第五十一世)と日盛法主の書簡を持参して、日霑法主に大石寺に戻るように懇願した。
それを受けて、日霑法主が帰山すると、今度は、日盛法主が失踪したというのである。

● 五十三世・日盛法主失踪にまつわる醜い争い

この話には続きがある。日霑法主は、行方不明になった日盛法主を捜すために二人の僧侶を各地へ派遣したが、結局、見つけることはできなかった。そのため隠居していた日英法主が再び登座した。しかし、高齢のため、わずか一カ月で辞意を表明し、日霑法主が再び登座することになった。

この状況は、日盛法主側から見ると全く別なストーリーになる。『諸記録』に収められた手紙によると、大石寺を失踪した日霑法主は、六月には栃木の信行寺に居を構えていた。
日盛法主は、大石寺の火災後、本山の僧侶たちが自分を追及したことや、日霑法主がわざと大石寺を離れて帰山の懇願が起こるように仕掛けたこと、また、つなぎの法主として日英法主を一カ月だけ登座させたことなど、すべて日霑法主が再び登座して〃大石寺を乗っ取る〃ための陰謀であったと考えていたのである。
どちらの言い分が真実なのか。今になっては分からないが、いずれにしても、当時の宗門では、信仰とはかけ離れた、僧侶間の陰湿な争いがあったことは確かだ。

日霑法主が再度登座した半年後、大石寺はまた火災を起こし、今度は蓮葉庵を焼失した。
この時、日霑法主はこの火事を「何か仏意を穢し奉り候御誡」、すなわち仏罰か、それとも日盛法主の「我等へ御怨念之深々相懸候事も之あるか」、つまり日盛法主の怨念によるものだと述べている。
法主とあろう者が、怨念などという、オカルトじみた考えに取り憑かれているのであるから、呆れたものだ。(続く)

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