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◆新改革通信 目次◆

松岡幹夫氏文書一覧

●新改革通信(22〜43号)

●新改革通信(44〜52号)

大石寺の桜伐採の写真

◆同盟通信(104〜112号)


[56]TITLE:新改革通信 89号  2008/7/5   
name:管理人


新改革通信 89号 平成二十年七月四発行   

池田名誉会長が「立正安国論」の御精神を実現。世界百九十二ヶ国へ流布。日顕の蛮行・正本堂破壊は八百万信徒の真心の破壊。民衆を愚弄するは、「立正安国」の「正義」に真っ向から背く第六天の魔の所為。


 明年、平成二十一年は、日蓮大聖人が『立正安国論』を幕府に上呈されて、かぞえで七百五十年目に当たる。
 宗門は〃『立正安国論』正義顕揚七五〇年〃と謳っているが、彼らの言う「正義」とは一体、何なのか? 
 プレ大会と称して、病人まで巻き込んで、無理やりに檀徒を集め、その陰で、自分たちは豪華なホテルに泊まって、檀徒の供養で高級料理に舌鼓をうつ。これが果たして、正義の姿なのか。
 大聖人が『立正安国論』に示されている正義とは、一切衆生を平等に幸福に導くための教えである。ゆえに、大聖人は『立正安国論』の御真筆において、国の漢字を書かれる場合に、「国構え」に「民」の字を多用されている。
 この字に、大聖人のどんな思いが込められているのであろうか。

● 民の目を開くために戦われた大聖人
 この「民」の起源は、「針で目をつぶされた奴隷」を意味しているという。「民」の最後の一画の斜めの線は、太古の象形文字で描かれた「ひとみを突く針」の名残であるというのだ。為政者が民衆を奴隷として使う時に、目をつぶして、自由を奪うという意味である。古来、権力者たちは、民の耳目を覆って真実を隠すことによって、民衆を支配してきたのである。
 その権力の道具と化していた民の「目」を開かれようとしたのが、大聖人である。大聖人は、民衆に正法を教え、平和社会を実現する主体者とするために、法難を覚悟で戦われたのである。

● 目覚めた民の力を恐れた権力者たち
 熱原の法難で、なぜ、平左衛門らは一介の農民達に対して、常軌を逸した拷問を加え、斬首まで行ったのか? 一体、彼らは何を恐れていたのか?
 それは、目をつぶした奴隷だと思っていた農民たちが、自らの意志で、権力者に立ち向かったからである。
 当時、有力御家人でさえ恐れていたといわれる平左衛門は、〃農民など少し脅せばすぐにおとなしく自分に従う〃と、高をくくっていたのであろう。ところが、熱原の農民たちは、蟇目の矢の拷問にも耐え、不退転の意志を貫いた。その姿を見て、平左衛門は、民の底力に恐れを感じると共に、〃農民の分際で〃と慢心から怒りを爆発させたのである。

●信徒の目を塞ごうとした日顕ら
 宗門事件の本質も同じである。日顕らは、衣の権威や血脈という言葉を〃民の目を潰す針〃として使って来た。真実の法は法主しか解らない。僧侶は特別であり、檀徒はその僧侶の生活を支えるのが役目であると、信徒に教え込むことに、彼らは腐心してきたのだ。
 ところが、池田名誉会長と正法に目覚めた学会員は、けっして僧侶の奴隷となることはなかった。
 それがわかった日顕は、〃池田名誉会長さえ、いなければ信徒を隷属させることができる〃と考え、「C作戦」という謀略を図った。そして、平成四年七月四日の今日、池田名誉会長の信徒除名を行った。まさに現代における「斬首」である。
 しかし、創価学会員は微動だにせず、かえって師の仇を打たんと極悪日顕に対して、立ち向かっていった。同時に、シアトル裁判での日顕の出廷が決まり、日顕は満天下にその醜い姿をさらした。
 日顕はかつてない屈辱に、復讐の念を燃やし、自分の力を創価学会員にみせつけるため、正本堂の破壊を行った。
 
●正本堂破壊は、民衆を愚弄した蛮行
 八百万人もの信徒が、血の滲むような思いで供養した、その真心を日顕は破壊したのである。民衆の純真なる信仰心を汲めぬ者が大聖人の弟子であろうはずがない。
 大聖人は「民」の字で立正安国の正義を示された。しかし、日顕は「民」を見下し、愚弄した。
仏智というものは、一般民衆がわかるはずがないんですから。したがって数から言うならば、ボンクラどもが千人、万人おるよりも、仏様一人のお考えのほうが正しいんです。(平成三年五月三十日 寺族同心会)
 すなわち、日顕にとって「民」は「ボンクラ」であるということだ。だからこそ、狂気と思える正本堂の破壊を行うことができたのだ。
 
● 政子のマンション疑惑でも檀徒の目を塞ごうとする日顕
 日顕は檀徒から絞り取るように供養を強要し、その陰で政子が二億円相当のマンションを所有していたことが発覚した。しかし、そのことは檀徒に一切知らされていない。今もって、檀徒は目を潰されたままなのである。
 法華経に説かれる僭聖増上慢の特徴である「人間を軽賤する」という行為は、民衆の目を潰して自立を阻む行為とも言えよう。〃信徒は余計なことを知る必要などない〃という、この日顕らの僧俗差別こそ、天魔の証である。
 
●立正安国論の実践は創価学会のみ
 一方、日顕が破門した創価学会は、池田名誉会長のもと、世界百九十二ヶ国の一閻浮提に広宣流布をし、その勢いはとどまることを知らない。各国で信頼を勝ち取り、その国の繁栄と一人一人の幸福のため尽力している。まさに「立正安国」の理想的な実践の姿ではないか。(編集部)

[55]TITLE:新改革通信 88号  2008/7/5   
name:管理人


新改革通信 88号 平成二十年六月三十日発行   

シンガポールのニセ寺院問題、第二弾。
日如の発言だけでなく、八木の発言も改ざんされていた!
すべての責任を信徒に負わせようとする日顕宗の非道!!


 前号で報じた通り、宗門はシンガポールの事務所を「寺院」と発表しているが、シンガポールでは、正式な寺院と認められていない。
 その証拠に、『大白法』(四月一日付け)に掲載されている日如の話には「寺院」という言葉が出てくるが、シンガポールの壇徒機関誌には「寺院=Temple」という言葉が訳されていない。
 
 順を追って見ていくと、まず、日如の「本宗における寺院とは、それぞれの地域における大法弘通の法城として、その意義と目的のもとに建立されるものでります」という言葉の
 
「本宗における寺院」は「Nichiren Shoshu facilities」となっている。
 
 これでは「日蓮正宗の施設」という意味になる。この「facility」は「設備、施設、機関」という意味でしかない。
 引き続き、日如は「寺院が建立されることは、それだけ、その国の正法弘通が進み、一歩一歩、確実に広宣流布に向かって前進している証でもあります」と述べているが、
 
ここの「寺院」も、やはり、「Nichiren Shoshu facilities」となっている。
 
 さらに、日如は、「今回、シンガポールにおいて、広布山開妙院が正式に山号・院号を公称し、板本尊をお迎えして、名実共に寺院としての活動を開始するに至ったことは、まさにその表れであります」とあるが、
 
 「「名実共に寺院としての活動を開始」が「the commencement of its function, both in name and in fact.」と英訳されており、「名実共にその(開妙院)の活動の開始」と、寺院(temple)という言葉が訳されていない。
 
●八木の発言も改ざん
 
 この時の八木の挨拶も『大白法』に掲載されているが、その八木の話も改ざんされている。
 八木は、「日蓮正宗開妙院として正式に日蓮正宗の寺院となり、総本山大石寺の末寺となりました」と述べているが、
 
 「正式に日蓮正宗の寺院となり、総本山大石寺の末寺」が「an official Nichiren Shoshu facilities belonging to Head Temple Taisekiji」となっており、これでは「本山の大石寺に所属する正式な施設」という意味になる。
 
 要するに、シンガポールでは正式に登記された寺院ではなく、あくまでも「事務所」なので、英語では「寺院=Temple」という言葉を使うことはできず、「施設=facilities」としてあるのだ。
 日本では「寺院が出来た」と宣伝して、シンガポールでは「施設」と言っているのだから、悪質なごまかしである。法主が二代続けて「詐称」で、寺院も「詐称」とは、何ともお粗末な話ではないか。
 
● 壇徒に「寺」と言わせて、責任逃れする悪坊主たち

 「宗門では、寺院にはTempleという言葉は使わない」などという子供だましは通用しない。現に、壇徒の機関誌では、法人の役員である某信壇徒が「Temple」という言葉を使っているのだ。
 この壇徒の「経過報告」の中に、以下のように、三回も「Temole」という単語が出てくるのだ。
 
 「the wooden Gohonzon Enshrinement Ceremony at the first temple in Singapore」
 「in the management decision in the building of this temple」
 「This temple is the fortress of the True Law」
 
 日如と八木の言葉には「temple」という言葉は使われていないのに、なぜ、壇徒の言葉にはそのまま「temple」という言葉が使われているのか。
 すなわち、シンガポールで正式に認められていない施設を「寺院」と呼べば、当局から咎められる可能性があるということだ。だから、当局の目から逃れるために、日如と八木の言葉は改ざんされている。
 そして、その代わりに壇徒に「temple」という言葉を言わせて、体裁を整えようとしている。日如らは壇徒の身に危険が及ぶのを承知で、利用しているのだ。何という非道なことをするのか。これが日如らの正体だ。
 
 この宗門の保身を図ろうとする体質は、戦前の「神札事件」から、まったく変わっていない。常に彼らは自分たちの保身に汲々として、信徒を犠牲にしてきた。
 今の宗門にとって、信徒は利用するものでしかない。だから、彼らは、プレ大会でも、信徒の身の安全を無視した無謀な輸送計画で、結集を図り、自分たちは豪華なホテルに泊まり、庶民の手に届かない高級料理を堪能している。
 まさに彼らの非道ぶりは、僣聖増上慢の「人間を軽賤する」行為であり、必ず、その報いを受けることであろう。(編集部)

[54]TITLE:同盟通信 No122  2008/7/5   
name:管理人


同盟通信 No122 2008-06-16

=明日、注目の臨時宗会が開催される。
 宗祖曰く「師に於て正師・邪師・善師・悪師の不同ある事を知って邪悪の師
を遠離し正善の師に親近すべきなり」(全1340ページ)と、明日の宗会では、議
員諸賢はこの宗祖の仰せを踏まえ、ぜひ議論をしていただきたい。

 そして、何よりも今宗内の最大の関心事である「隠尊夫人のマンション疑惑」
から目をそらさずに、真っ向から論議し、宗会はその責めを果たすべきである。

 故・河辺師は未公表のメモ(別掲)のなかで、宗会について、「今の議員、ア
ホばかり、どうしょうもない」と指弾、宗会が取り上げるべき課題を摘示して
いる。明日の会議の成り行きに熱い注視が注がれている。=

 明日、臨時宗会が召集される。議題は19年度の決算である。果たしてどのよ
うな審議がされるのか。注目されるところである。宗内の一部老僧からは「マ
ンション問題について執行部はなんらかの説明が必要だ」との認識も出始めて
いる。

 猊下はlO日の記念局の会議で「二兎を追う者は一兎をも得ず」の諺を引き、
今は二兎を追い、ともに得るのだと、暗に供養も折伏もともに達成せよ、と檄
を飛ばした。この15日に東日本大会が終了し、いよいよ正念場の21年に向かっ
て、大号令を発したつもりなのだろう。猊下は模範となるべき僧侶のなかに供
養もしない、折伏もしないのがいると気合を入れた。ドスのきいた早瀬節の炸
裂に並み居る参加者は震え上がった。猊下のパフォーマンスにはポスト・プレ
大会の焦点を鮮明にしたいとの思惑が透けて見える。

 しかし、猊下にお伺いしたい。「僧俗に御命題の達成を強要する前に、やっ
ていただきたいことがあります。それは、言うまでもなく、『隠尊夫人のマン
ション疑惑』についての説明であります」と。

 そもそも、隠尊夫妻は世田谷の等々力の出張所をどういう名目で使用されて
いるのか。寺院名簿の「(中町)大石寺出張所」の欄には隠尊夫妻の名は載って
いない。現猊下に猊座を譲った後、等々力の出張所に大改修工事を加えて、隠
尊夫妻が使用されるようになったことは衆知の事実だ。それでは隠尊はそこの
管理人という立場なのか。管理人であれば、なにがしかの手当をもらって住ま
わせてもらっているのか。でなければ、よくいう社宅と同じ扱いなのか。社宅
なら、使用料は支払われているのか。説明を聞きたいものだ。なぜ、都心の一
等地の眺めもよいだろう、件のマンションに住もうとしないのか。勿体ない話
ではないか

 隠尊夫人のマンション疑惑に対して、中堅以上の僧侶からの批判の声は低か
った。それは学会との蜜月時代に、たんまり私有財産を貯め込み、ちゃっかり
家族用のマンションを所有している僧侶がたくさんいるからである。皆、声こ
そ出さないが同じ穴のむじななのである。しかし、寄る辺のない若い僧侶や崩
れそうになった屋根の修理もできない30等の困窮寺院の僧侶と家族たちが、日
顕ファミリーの金銭感覚に、これが一宗を統率する方の実態なのかと、マン
ション疑惑を報じた「同盟通信」を前にしてショックをうけていた事実を宗門
の特権階級は知らない。

 今から11年前の初秋、亡き河辺慈篤師は「今の議員、アホばかり、どうしょ
うもない」と宗会の実態について嘆きながら、「宗会で反映(原文は「影」)す
べき点」として、「 ̄臀寺院の件。電気(原文は「DK」)、ガス、水道、住居
の修理代等の代金に困っている寺院もある。この実情を反映(原文は「影」)さ
せる事、(略)、K悗匹了院が預金を取り崩して宗費を納めている。預金が
無くなったら、山の年間予算どうするのか、200ヶ寺の建物、耐用年数、一
般的には15年と云われているが、これについての今後の考え、又はその資金ど
うするのか、ヌ鞠そ蟠技佞侶錙G間20人近い教師ができる。この状態の中で
10年先何人に成る。年間の寺院建立とか死亡、隠居する人含めて、平均年間何
人、寺院へ赴任できるか。無教が増加して来ると、パワーができる。これらに
対処する、又は10年後を見通した青写真、どのように作っているか、宗費に
ついて。今、収入だけを対象の宗費の賦課を行っているが、支掛について一ツ
も触れていない。法律上、定められたものを聞かないとはどうゆうことか」と
メモを残した。

10年以上前のものとは思えない内容である。河辺師は全国の末寺の状況、特
に経済事情に精通していた。このメモで何よりも特筆されるべぎことは、宗門
の財政が早晩破綻することを見越していた点である。学会を切り捨て、その結
果、衰亡していく宗門の現在と未来を見据えようとせず、昔の夢にふけり背伸
びしつづける執行部に、河辺師は何項目にもわたって的確な警鐘を鳴らしてい
る。こうした事態をもたらした元凶は隠尊である。近い将来、相承箱から67世
の名が抹消される日がくるにちがいない。(憂宗護法同盟員より)

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