同盟通信

NO.110(2004.12.11)

=五ヶ月間にわたって、日顕中枢を揺るがした。“花野の乱”は終った。強権法主・日顕に対してはっきりものを言っても、処分できない前例を作ったことは画期的であった。今や唯授一人の呪縛は解かれ、「根露るれば技枯れ源乾けば流竭く」の姿を呈し、第二、第三の花野出現の道を拓いたのである。=

 去る十一月二十五日、日顕からの要言寺行きを拒否した花野は、十二月二日、一転して異動を受け入れ、今月末の赴任が決定した。一時は裁判も辞さない、記者会見をする、と息巻いていた花野の突然の後退劇に、宗内からは「なんだ腰砕けじゃないか」「やっぱり、花野らしい」という批判の声も出た。

 しかし、花野以上に腰砕けであったのが、日顕たちであった。居丈高になって、「公の場で管長を誹謗讒謗する行為」「宗内秩序を紊乱」「本宗の信用を著しく害する行為」と決め付け、断固処分を主張していた彼らが、二回目の詫び状で、お咎めなしにした上、一旦は拒否された異動を、一週間もたたないうちに、そのまま認めるというだらしなさであった。あれだけ現体制を批判し、管長を糾弾した花野を日顕は処分できず、「異動」でお茶を濁した。

 花野の強烈パンチを何発も浴びた日顕にとって、この後遺症は当分癒されそうもない。特に、日顕の“出世の本懐”ともいえる法教院への批判は、相当堪えたに違いない。花野の指摘は宗内でも共感をもって迎えられ、反論できない問題であるから、「是正措置命令」十項目でも取り上げることはできなかった。破戒魔・日顕にとって、唯一の“知的創造物”が、泥まみれになるのを恐れたのである。

 悔しい日顕は、今後もことある毎に、陰湿な花野批判や、追い落としの画策をしてくるだろう。だが、花野には「聴聞記」や未発表の「河辺メモ」という伝家の宝刀があり、日顕も簡単には手を出せない。

 一方、花野にしてみると、浄福寺の法華講がいざという時に、住職中心にまとまらず、足元から崩れたのが誤算であった。要言寺行きを蹴った翌二十六日、講幹部が寺に集まり、住職を中心に対策を練ろうとしたが、肝心の花野が学術会議に出かけて欠席、住職は本気なのかという印象を講中に与えてしまった。翌日嘆願暑名に取り組んだが、周辺からの切り崩しもあり、結局尻切れトンボになった。

 法華講というのは、住職についているのではなく、寺についているということを、花野がよく分っていなかったのだ。花野は未だ“机上山空論寺”を脱しきれていなかったのである。

 また、期待していた妙観会の激励、支援が得られなかったことも大きい。特に、中心である大宣寺、常在寺が、“触らぬ神に祟りなし”とばかり、だんまりを決め込んだことは、花野のみならず、宗内にも失望感を与えた。

 こうした孤立無縁のなかで、自爆か撤退かを迫られた花野は、“カメレオン・花野の通り、変わり身の早さで対応するしかなかった。三百世帯を越える要言寺に入れば、今後も研究、学術会議などの出席も、今まで通り続けられる。また、じっと我慢していれば、いずれ「代」が替わるだろうし、新たな展開がある、と考えるのが精一杯であっただろう。

 しかし、今になってみると、一連の花野の言動が、信伏随従、唯授一人という日顕の呪縛、旧態然とした宗門行政に、風穴を空けたのであり、その意義は大きい。「竹の節を一つ破ぬれば余の節亦破るるが知し、囲碁と申すあそびにしちようと云う事あり一の石死しぬれば多の石死ぬ」の通り、第二、第三の花野が出現する道を拓いたからである。

 八十二歳を迎えても、「メモ」に怯え、河辺の亡雲に怯え、「相承箱」に怯える日顕は、「十二時に一時かた時も大苦ならざる事なし」を突っ走るしかない。“花野の乱”はそれに追い打ちをかけた。

【資料・今回の経過】

七月七日、花野充道、「道心』二十九号に「僧侶主導の広宣流布を考える」を寄稿。日顕、宗務行政への小気味よい批判を展開した。

八月六日、日顕、登座二十五周年奉祝行事(阿部信彰の旗上げ)で、“学者になって博士号を取ったからといつても、ろくなことはない”と暗に花野を批判。

八月十七日、藤本名で花野に「是正命令」。「公の場で管長を誹謗讒謗する行為」「宗内秩序を紊乱」「本宗の信用を著しく害する行為」と決め付け、十項目の是正、十四日以内に「謝罪文」提出、「道心」二十九号の回収を命じた。

八月二十五日、花野、阿部美道、細川明仁、宗務院に呼ばれる。

八月二十九日、花野、謝罪になっていない「謝罪文」(七十六n)を日顕に提出。十項目につきそれそれぞれ反駁し、最後にとってつけたように、「お許し下さいますよう、伏してお願い申し上げます」と結ぶ。

八月三十日、花野、「道心」購読者に「謝罪文」と「回収についてのお願い」を発送。

九月十日、コケにされた日顕、宗務院は、花野に「再是正措置命令」を出す。

九月十八日、花野、二回目の「謝罪文」を提出。十項目につき、再度訂正する旨を書く。阿部美道、細川明仁もそれぞれ「謝罪文」を提出、「道心」購読者に郵送。

十一月十七日、花野、宗務院に呼び出され、藤本日潤、早瀬日如、大村日統、阿部信彰、水島公正から、約三時間査問を受ける

十一月二十五日、日顕から、花野に行橋市・要言寺への異動を命じられるも拒否。

十二月二日、花野、要言寺異動を受け入れる。

(憂宗護法同盟員より)


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