日蓮正宗問題研究:はじめに

 
 

ごあいさつ

この度は、青年僧侶改革同盟のホームページにアクセスして下さり、誠にありがとうございます。大いに歓迎いたします。このホームページは、青年僧侶改革同盟という日蓮正宗から離脱した若手僧侶の団体が行なっているものであります。

自己紹介をさせて頂きますと、私たちは全員、もと日蓮正宗の信徒でありました。信徒として活動しながら、宗祖・日蓮大聖人の教義を学んでいくうちに、その実践と教えに深く感銘を覚え、信心の偉大さを確信しました。と同時に、より深く日蓮大聖人の仏法を会得し、その教えを伝持しつつ、人々に教えを弘め、人類の幸福のために少しでもお役にたちたいと願うようになったのです。そして日蓮正宗の管長のもとに弟子入りし、出家して僧侶となりました。日蓮正宗では、管長のことをとくに「法主」と呼んでいます。したがって以下、管長のことを「法主」と称します。私たちが弟子入りしたのは、阿部日顕法主(当時、現在は隠居)でした。

(とくに日蓮正宗では、他の宗派とは比べものにならないくらい法主には絶対的な権力があり、この法主絶対主義に問題があるのですが、これは、後のページで詳しく紹介します。)

本来、法主とは宗派の代表・責任者として、日蓮大聖人の御精神を深く身に体し、人類の幸福・平和・繁栄を祈り、人々を教導していく信仰上の模範となるべき立場の人でなければならないはずです。ところが、私たちの師匠となるべき日顕法主は、信仰上の規範となるような人ではありませんでした。

当時、日蓮正宗は日本最大の宗教団体である創価学会を擁していました。そして、法を弘めることも、教義の研鑽も創価学会が、もっぱら積極的に行なっていたのです。そうした優れた信徒団体を持ったことをいいことに、あろうことか日顕法主は、信仰心も乏しく、自ら弘法に専念することもなく、贅沢に明け暮れ、ひたすら遊興に耽ってばかりいたのです。

法主が、そのような有様ですから、日蓮正宗の宗門(注・宗門とは僧侶の団体のことで、以下、「宗門」と称する)全体に、その雰囲気は蔓延し、宗門全体が腐敗堕落していました。私たちは、宗門に入ってこの事実を知り、愕然としたのは言うまでもありません。

その頃、創価学会では池田名誉会長が法華講総講頭(信徒の代表者)としての立場から、寺院の建立寄進をはじめ大石寺開創700年の御供養と、宗門外護に赤誠の念を尽くされていました。また全世界の信徒の激励に奔走される一方、池田名誉会長は世界の要人とも対話を重ね、仏教の慈悲の精神、生命の尊厳を説き、理解を深め合いながら大いに仏法の偉大さを宣揚し、世界平和に貢献していたのです。そのことによって、世界各国から多大な評価を得ていました。

ところが、日顕法主は、この池田名誉会長を称賛するどころか、あろうことか逆に嫉妬を懐き、1990年12月27日、池田名誉会長に対し総講頭罷免という処分を一方的に下してしまったのでした。(C作戦なる謀略を参照)

そして更に1991年11月28日には、創価学会までも破門にしてしまったのです。この事件は、日本全国中に大きな話題をよびましたので、多くの方が御存じのことと思います。

日顕法主の怠惰と無慈悲な正体や宗門の腐敗堕落を知らなければ、一般の人たちは、たんなる宗門と創価学会の抗争程度にしか受け取れないのも無理はありません。しかし、宗門内で実際に日顕法主らの、僧侶としてあるまじき実態を見聞してきた私たちにしてみれば、その元凶はあまりにも明らかであります。日蓮正宗僧侶らの腐敗堕落ぶりや、閉鎖的な宗門内で、絶対的地位にあることをいいことに、自らの感情にまかせ、我がまま一杯に振る舞う日顕法主にこそ全ての問題の元凶があると、確信を持って言い切ることができます。

そこで、私たちがこの事実を語らなければ、大勢の信徒の方の中には、いたずらに混乱を招き迷う人が出たり、ひいては一般の人たちにまで誤解を生じる恐れがある。そうなれば宗祖・日蓮大聖人の尊い教えまでも汚してしまう事になりかねないと痛感し、やむにやまれぬ思いで日蓮正宗から離脱、真実を訴えるために青年僧侶改革同盟を結成し、宗教改革に立ち上がったのであります。

日顕法主は平成17年12月15日に法主を退座し、管長推戴会議で早瀬日如氏が新管長に就任しました。しかし、日顕法主が前・日達法主から正式に相承を受けた証拠を提示することなく、退座しました。ゆえに私たちは早瀬日如氏を日顕宗第2世と呼んでいます。

そもそも、日顕法主や宗内僧侶たちの腐敗堕落の要因は、その信仰心のなさもさることながら、仏教が日本で独自に葬式仏教化した点に大きな原因の一つがあると考えます。

一般の方も、仏事などで、戒名料や墓地・遺骨、僧侶への布施などに不明な点を感じ、また、疑問に思っていらっしゃる方も多くおられると思います。そこで、私たちは、当ホームページに於いて、そうした「仏事」についても、日蓮正宗・宗門の実態を反面教師としつつ、歴史的な見地に基づき、仏教の本義に照らし仏事の本来あるべき方途について詳しく触れております。従いまして、一般の方でも参考になる点が沢山あろうかと存じます。

そこで、ぜひとも御一読して頂き、本来の宗教のあるべき姿、仏事を迎えるにあたっての再考の機会にして頂ければ幸いです。