改革通信

NO.23(2005.11.18)

盗座日顕、遂に逃座!〃 負け犬・日顕の哀れな末路(2)
日顕の相承疑惑に火をつけた張本人が「唯一の証人」?とは


日顕の相承疑惑に火をつけた張本人が山崎正友であることは周知の事実 である。山崎は週刊誌等を使い、反日顕のキャンペーンをはった。

『週刊文春』昭和五十五年十一月二十日号
「近年では御相伝のことは、後世に疑いを残さぬために明確かつ公然と 行なわれている。もし日達上人が御在世中にそのことを行なわれていた ならば、必ず公表されておられるはずである。(中略)日達上人は、事 実上の指名≠ネり、心づもりなりを周囲の人人に話されたことはある が、御相伝≠サのものは、なされていた形が、どこにも見当らない。 見た人は、だれもいなかった」

正信会が〃阿部は相承を受けていない〃と騒ぎたてた背景には、この山 崎の証言があった。さらに山崎は相承疑惑の決定的な証拠として以下の ような事実を暴露した。

『諸君!』昭和五十八年二月号
「亡くなられる前夜、日達上人は、翌日、東京の病院へ移ることをすす める私に対して、次のようにいわれました。 『相当長くなるだろうなあ。そうであれば一度山へかえって、大事のこ とをしておかなくては。とにかく、明日だけは山へかえる。(側にいた 僧侶に)対面所に布団をひいておいてくれ!慈雲はいるか!(菅野慈雲 師に向って)今日は、東京へ帰るのか。明日一番で必ずこいよ。』(中 略)私には、日達上人の言葉の重大性が、このときわかりませんでした。 あとできけば、お大事≠ニいえば、御相伝≠フことを指すとのこと でした」

山崎はさらに詳しい内容を正信会の会合で述べている。

『広布の道』昭和五十八年九月号(四国正信連合会第二回総会)
「しかしそういう長期に渡る入院と云う事であればどうしても遣ってお かなければならん事がある。(中略)明日こいよ。お前必ずこいよ。明 日こうだ、と何人かの御僧侶にお話なされておりました。その中に阿部 師の名前は出ておりませんでした」

山崎はここではっきりと「阿部師の名前は出ておりませんでした」と言 っていたが、平成十五年になって、いとも簡単にこの証言を覆すのであ る。「悪行猶以て飽き足らず」。懲りない頭破作七分な二人である。 (続く)



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