改革通信

NO.38(2005.12.13)

歴史は真実を語る。日顕らは法主弾劾者の末裔(7)
日顕の相承が証明されない限り火種は残る。時限爆弾と同じ


日顕が今月中に早瀬に相承する計画が進行している。猊座を盗み取った日顕の時は、もちろん何の儀式もしていない。だから、ムキになって、大々的に儀式を執り行うであろう。

しかし、問題は「相承箱」である。日顕の手元には「相承箱」がないと言われている。もし、本当にないのなら、新しく作るか、それとも「相承箱」なしで儀式を行うか、どちらかしかない。もし、新しく「相承箱」を作れば〃ニセ相承〃と言われるし、「相承箱」なしで行えば〃ウソ相承〃と言われるであろう。

ただ、今回、日顕が退座すると言い出したのは、大宣寺から「相承箱」を取り戻したからではないかという噂もある。たとえば、様々な条件で折り合いをつけたのではないかとも言われている。密約の証拠を大宣寺が握っていれば、そういうこともあり得るだろう。

一時期、次は八木ではないかと噂されていたことがある。八木は日顕の弟子であるから、八木に相承すれば、確実に日顕の息子・信彰に渡るからだ。しかし、今回、早瀬が学頭になったことで、次期法主は早瀬に確定した。そして、八木は翌二日付けで法道院主管に任じられた。

このことから予想できるのは、早瀬―八木―信彰、という相承の流れだ。ただし、この順序は、早瀬次第であるとも言える。

今回、早瀬が時期法主に選ばれた理由は色々考えられる。宗務院の教師たちや全国の支院長クラスには法器会出身者が多い。だから、早瀬でなければ、宗内を押さえられないという見方がある。

特に本山への振込み供養の件で、援助寺院の住職たちには相当の不満が溜まっている。人望のない八木では、宗内を押さえるどころか、逆に下から突き上げられる可能性がある。喧嘩の強い〃ブクロの寛ちゃん〃なら、正信会の時のように、脅しが効くかもしれない。

ただ、早瀬が必ず、八木に譲るという保証はない。おそらく、日顕は自分の生きている間に、早瀬から八木に相承させようとするだろう。

しかし、日顕のおかげで、今や、法主は絶対的な権力を持つようになった。いわば、〃信仰〃を拠点にして成り立っていた法主の地位を〃法律〃によって権力化したのである。絶対的な権力を手に収めた早瀬が、いつまでも日顕の言うことを聞くとは限らない。

日顕がそうだった。法主になる前は、学会に対してペコペコと頭を下げていた。ところが、権力を手に入れた途端に本性をむき出しにして、権威を振りかざして来た。

もし、早瀬が日顕の業績を否定し始めたらどうなるか。日柱法主の時のように、宗内が紛糾するかもしれない。歴史は繰り返すのか。

日柱法主の辞職問題で紛糾していた日蓮正宗に対して、文部省宗教局は選挙によって管長を選出することを決定した。

しかし、大正十五年一月二十五日、日柱法主が、「日柱以外の何人が当選されたとしても、日柱は其人に対し、唯授一人の相承を相伝することが絶対に出来得べきものでない事を茲に宣言する」と、〃相承拒否〃を宣言した。

このような日柱法主の抵抗の中、二月十六日に管長選挙が行われた。結果は日亨法主の勝利で終わったが、日柱法主擁護派が、〃日柱法主が辞表を書いたのは脅迫によるもの〃と、宗会議員らを告訴した。泥沼の戦いである。この最悪の事態を治めたのは、文部省宗教局長による調停であった。

かつて、早瀬に近かった河辺が「六十七世はいないんだ」と言ったが、早瀬がもし同じことを言い出したら、どうなるか。〃「C作戦」、学会破門、正本堂破壊、すべて日顕の独断で行われたが、あれは間違いだった〃と早瀬が絶対に言わないとは、誰も断言できないだろう。

仮にそのようなことが起これば、日柱法主の時のように日顕の弟子たちによって、クーデターが起こるかもしれない。法器会と日顕の弟子らが争うことがあるかもしれないし、妙観会と法器会が手を結ぶかもしれない。今の宗門では、何が起こっても不思議ではない。

また、今回の相承の儀式で、相承箱が大宣寺から〃お出まし〃になったならば、日顕や早瀬に対して大宣寺は相当な優位性に立つ。いつでも、ニセ相承を証明出来るからだ。あるいは、今回本物の相承箱が出現しなければ、早瀬の代に、「相承箱」を持つ者が現われて、〃私こそ、正統の血脈保持者です〃と言い出すかもしれない。そうなるとどうなるか?

早瀬も日柱法主のように、〃相承拒否〃をして、南北朝時代のように、宗内に二人の法主が登場するのであろうか。

要するに、日顕退座後も、日顕自身の相承が証明されない限り、つねに日顕の相承を否定するものがあらわれるだろう。火種は永久に消えない。「相承問題」はまるで時限爆弾である。いつ、爆発するかわからない。

日顕が年内に早瀬に相承したとしても、代替法要は明年四月になるはずだ。その四ヶ月の間に何が起こるか、誰にも予想がつかない。無事に、四月を超えたとしても、いつまた、〃日顕には相承がなかった〃と言い出す者が現われるか分からない。日顕は死ぬまで怯えながら暮らすことになる。

大聖人は「信心の血脈なくんば法華経を持つとも無益なり」と明確に仰せになられている。日顕がどんな形で相承しようとも、信心なき所業は自界叛逆につながるだけである。(終わり)



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