改革通信

NO.42(2005.12.29)

題目の「蓮」の点の打ち方が違うのは相承を受けていない証拠と、正信会から責められた日顕。早瀬はどう書写するのか?

日顕の父・日開は、法主に登座した直後、御本尊の讃文を「仏滅後二千二百三十余年」と書くべきところを「仏滅後二千二百二十余年」と書き、宗内僧侶から糾弾された。日開は、一旦は「ただ漫然之を認ため、何とも恐懼に堪えぬ」と謝罪したが、その後、「二十余年説と三十余年説のどちらを採用するかの権能は法主の側にある」と居直った。

しかし、信徒たちから「二十余年説と三十余年説のどちらが正しいのか」と問い詰められ、最終的には、「二千二百三十余年が正しく、万一、二千二百二十余年の本尊ありとすれば後日訂正することとする」と日開が自らの過ちを認めている。

〃この親にしてこの子あり〃とはよく言ったもので、日顕も登座直後、正信会から、〃御本尊の題目の「蓮」の点の書き方が違う〃と糾弾されている。

御本尊の「蓮」の「しんにょう」の点は二つあるが、日達法主は下から上に筆を進めていた。しかし、日顕は上から下に書いていると指摘されたのである。そして、それは日顕が相承を受けていないからだと追求された。

この批判に対して、日顕は「南無妙法蓮華経の『蓮』の字の点は、上の点を打って次に下の点を打つのが正しい。下の点を打って次に上の点を打つのは、要法寺流である」と反論している。(正信会報四十一号)

つまり、日顕は日達法主の本尊書写の仕方を「要法寺流」と真っ向から否定しているのだ。これが本当に相承を受けている者の言うことだろうか? その日顕から相承を受けたという早瀬は「蓮」の点をどう書くのであろうか? 日顕に従って上から下に打つのか、それとも日達法主に従って下から上に打つのか。興味深いところだ。

前号で早瀬の勤行が下手だと、信徒から指摘されたことを紹介したが、法器会の住職たちが心配していることがもう一つある。それは早瀬の「クセ字」である。

早瀬の字には独特の癖がある。字が角張っていて、少し斜めになる。決して達筆とは言えない。本人もそのことを気にしているのか、住職時代は位牌の題目や戒名を所化に書かせていた。

位牌や塔婆と違って、本尊は法主自らが書写しなくてはならない。誰かに代筆させるわけにはいかない。早瀬のクセ字を知る者は、早瀬が書写した本尊を想像して、「信者さんがどう思うであろうか」と不安になっているという。(編集部)



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