日蓮正宗問題研究
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平成の宗教改革を知るための「資料集」3

今回の「日蓮正宗問題研究」第7号では、皆様に日蓮正宗問題の背景や構図をより一層御理解して頂くために、『法主ファミリーの大悪行』(憂宗護法同盟著)と『地涌からの通信』(不破 優著)を贈呈させて頂きます。

以下、その内容を簡単に御紹介します。


資料紹介「法主ファミリーの大悪行」 憂宗護法同盟 著

本書は、憂宗護法同盟の僧侶の日顕法主告発の書の第二弾であります。第1弾『法主の大醜聞』では、日顕法主の60年に及ぶ出家生活での醜聞の数々を暴露し、宗内外に大反響を呼びました。今回は、末寺の困窮をよそに“好き勝手”を続ける日顕法主及びその身内による宗門支配、宗門私物化の実態を数々の事実とともに告発しています。

<大石寺を陰で牛耳る“金庫番”石井と“不動産屋”谷平>

公益目的の宗教法人であるはずの宗門のカネが、日顕法主ファミリーといわれるごく一部の人間によって、好き勝手に使われているという。その金庫番が石井信量であり、不動産投資の担当者が大石寺内事部職員の谷平明であるという。

谷平がファミリーの一員として手掛けてきたことの一つが日顕法主の豪邸探しであるという。平成3年に目黒に寺院と偽ったプール付きの20億円豪邸計画が発覚、計画は急きょ中止された。また、平成5年には、政子が信量と女房のナツ子とともに世田谷の高級住宅地に下見に行ったことが明かになったが、これらの物件の陰で暗躍しているのが石井と谷平である。

宗門のカネの一握りの“ファミリー”の好き放題。末寺がどうなろうが知ったことではない。これが日顕法主の本音なのである。

<息子・信彰のワガママに政子がボンと一億円>

血のつながりのない石井、谷平ですらこのやりたい放題である。いわんや日顕法主の実の息子・信彰となれば、そのわがまま、私物化ぶりはさらにエスカレートする。同書が明かすその典型的な例が、ブラジル一乗寺が新築移転する際の出来事だ。

信彰は「『学会が寄進した土地では満足な寺ができない、もっと大きな寺院にしたい、隣の土地を買い足せないか』と言い出したのだ。その価格が一億円」(同書116n)。そして「信彰は皆の見ている前で、東京・西片の母・政子に国際電話をかけた。『土地を買うので一億円いるんだ』と、こともなげにいう。政子の返事はこうだった。『一億円、安いじゃないの。買いなさいよ。すぐ送金するから』。そして数日後、日本から一億円が送られてきたのである」(同書117n)。

法主の息子だからといって、二つ返事で一億円とは、この金銭感覚は異常としかいいようがない。しかし、問題はその金の出所が不明朗であることだ。平成5年、こんな信彰が何と宗門の庶務部副部長に昇進した。暴力、わがまま、幼児性、異常なマザコン……、こんな二重三重人格の男でも、法主の息子というだけでハバをきかせることができる。日蓮正宗はまさに“日顕宗”になった。

<湯水のような散財続ける義純・百合子夫妻>

日顕ファミリーの“代表格”として「王侯貴族顔負けの贅沢三昧な生活」をしているのが早瀬義純(東京・妙国寺)と日顕法主の娘・百合子の夫妻。彼らの生活は、末寺僧侶たちの困窮した暮らしぶりとは、無縁という。

その象徴が平成2年に新築された妙国寺の豪華さだ。同書にはこうある。「ケタ外れは本堂だけでなく、自分たちの生活の場である庫裏まで超豪華にしてしまったのである」(同書152ページ)その内容は「浴室が2つ。家族用と所化用である。家族用はサウナ付きの温泉風呂で、この工事費だけで当時500万と言われた。誰もが驚いたのはダイニングルームとキッチンでなんと総額3000万円を軽く突破」(同書153ページ)というから信じられない。その他、車も高級品ばかり。

また、この夫妻はまるで王侯気取り。同書は「旅行先なら天皇が泊まった部屋とか、宮様愛用の部屋とか、なぜか皇室御用達が大好きなのである。

“法主”とは“天皇”と同格、したがってそのファミリーは皇族並み、そんな感さえある」(同書156ページ)と指摘する。日顕法主の娘とその婿と言うだけで、何の批判も受けないのをいいことに、義純、百合子ばかりが贅沢三昧。こんなことが許されていいのだろうか。

<無資格の経理士・野坂>

同書は無資格で末寺の経理をみて私服を肥やしている政子の実弟・野坂昭夫氏の正体にも言及する。

「右肩からは日顕の威光を発し、左肩からは“裏法主”政子の威厳を放っての商売である」(同書83ページ)。税理士の資格も持たぬ野坂だが末寺としては、断るわけにはいかないというのだ。

また同書によると、末寺から野坂への報酬は、1ヵ寺につき15万円から20万円。最低10ヵ寺見たとしても月収は最低150万のとなる。しかし「野坂さんが自分の収入として申告するのは、月額10万円なんです。これは寺が支払い証明を出すので間違いありません。…それ以上の分はどんな処理をするのか、あちらはプロだからうまくやっているんでしょう」(同書82ページ)との証言も紹介されている。

同書はこのほか“人物列伝”の形式で、これら一人一人についての新たな事実を告発し、その暗躍ぶりを浮き彫りにしている。それはまさに宗内僧侶が日頃、日顕ファミリーに対し、言いたくても言えない“本音”の代弁である。