新・改革通信 NO.124 (2011.11.15)[葬儀編(1)]僧侶が葬儀を禁じられていた時代もある 即身成仏の法門から言えば、故人は葬儀の前に成仏

「穢(けが)れ」である葬儀を嫌っていた古代の僧侶
 鎌倉時代以前、古代仏教では、「葬儀」は「穢れ」とされており、僧は葬儀に関わってはならないとされていた。

 その当時の僧は「官僧」と呼ばれ、天皇に奉仕し、鎮護国家が主な役割であった。

 その故に、官僧たちは「穢れ」である葬儀に関わらなかったのである。しかも、もし、葬儀に関わった場合は、法会の出仕を三十日間、禁止されたのだ。

葬儀に従事して信徒を獲得した真言律宗
 このような時代背景の中で、叡尊(一二〇一~一二九〇)を中心とした律僧の教団は、積極的に葬送に関わり、真言を唱えて成仏を保証し、多くの信徒を獲得した。十四世紀頃には十万人を越えていたとされる。

 ただ、当初は律僧が直接、葬送に関わったわけではない。律僧教団は「斎戒衆」という組織を作り、彼らに葬送を担当させていた。

 この「斎戒衆」というのは、在家でありながら戒を受けた者で、在家と出家の中間に位置する存在であった。

 この「斎戒衆」が官僧の代わりに、穢れとして忌避されていた葬送にかかわったのである。

葬送に従事し始めた念仏僧や禅僧たち
 いわゆる鎌倉新仏教運動の中で積極的に葬送に従事したのが、念仏僧と禅僧であった。

 法然は「極楽往生」を説き、念仏僧たちは「往生人に死穢なし」と念仏をすすめて、葬送に従事した。

 また、禅宗は中国の禅宗の規範が書かれている『禅苑清規』を日本に伝えたが、その中に僧侶の葬儀規定がある。そこには、沐浴後の悌頭、死者を桶の中に座らせ、棺に入れること、念誦、誦戒、三日後の火葬などが定められている。禅宗はそれを在家者に転用し、葬送儀礼を作りあげた。

 このように、律、念仏、禅宗が組織的に葬送に取り組んで信者を獲得していき、室町時代に仏式の葬儀が増えていった。

 それが、やがて「檀家制度」により、葬送儀礼が供養収奪の手段として固定化されたのである。

「一生成仏」「即身成仏」の法門から言えば、
故人は亡くなるまえに成仏している
 そもそも、葬送儀礼で成仏が決まるという主張そのものが大聖人の教えに反している。

 日蓮大聖人は、「いきてをはしき時は生の仏、今は死の仏、生死ともに仏なり。即身成仏と申す大事の法門これなり」(「上野殿後家尼御返事」) と仰せである。

 成仏とは、臨終や死後のことを指すのではなく、現世だけでなく来世においても崩れることのない絶対的な幸福境界を築くことである。かつては、日蓮正宗でもそのように教えていたはずである。

 創価学会員の葬儀に行けば、誰でも分かることであるが、葬儀が行われる前に、故人は安らかな相で即身成仏の姿を現じている。

 日寛上人の「臨終用心抄」によれば、大切なことは臨終の前の心構えであり、臨終の直後に唱題を聞かせることである。

 そういう意味では、最後まで激励してくれる同志がいること、亡くなった後に追善の題目を唱えてくれる同志がいることは、本当に素晴らしいことである。
 
 葬儀の意味をあらためて考えると、遺族の故人に対する思いを形に顕わすためのものであり、知人・友人が故人を追悼する場であろう。創価学会の友人葬の意義もそこにあると言える。(続く)

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