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新改革通信 126号  平成23年11月19日

(授戒編)
宗門の授戒文は「日蓮宗」とほぼ同じ
正式な制定は昭和41年、「古来から」は大ウソ

●出家の授戒と信徒の授戒をわざと混同させている宗門

 宗門は「古来から御授戒を行っていた」と主張し、その証拠として、『最蓮
房御返事』の「結句は卯月八日・夜半寅の時妙法の本円戒を以て受職潅頂せし
め奉る者なり」の文をあげている。

 しかし、この御文を見る限り、これは「出家」に対する授戒である。最蓮房
は、佐渡流罪中、大聖人に帰依をした。天台僧の最蓮房は、比叡山で法華迹門
の戒を受けていたはずで、独一本門の戒を大聖人から受け直したと伝えられる。

 同じく大聖人の弟子の日昭の授戒について、日亨上人は「最蓮房だけは佐渡
において大聖よりあらたに本門戒を受けたる御書あるが、日昭においては御門
にはいるとともに本門戒を受け直したりとの文献も、伝説も見えず」(『富士
日興上人詳伝』)と述べている。

 大聖人の御在世においては、「出家」の弟子に対してさえ、授戒の記録は、
最蓮房以外に残っていない。まして、「在家」の信徒が授戒を受けた記録は、
まったく無いのが現状である。 

●今の授戒の方式は創価学会の働きかけによって始まった

 日亨上人は、「受戒の定規はなかったと思う。それが、近今に至って、にわ
かにその式が新設されたのではなかろうか」(『富士日興上人詳伝』)と述べ
られ、現在の授戒の儀式は、近年になって定められたと述べられている。

 学会の草創当時を知る、故・和泉最高指導会議議長の証言によれば、信徒に
対する「御授戒」の儀式は昭和十二年ごろ、牧口先生が宗門に依頼して始めて
もらったものだという。

 当時は、いくつもの宗教を遍歴したうえで入信するケースが多かったので、
正しい信心への"けじめ"をつけるためであったということだ。

 このとき、宗門の大勢は御授戒に反対であったという。そのため、授戒を行
っていたのは、歓喜寮(中野区)と砂町教会(江東区)に過ぎず、あとから常
在寺(豊島区)が加わったということである。

●授戒文制定は昭和四十一年

 現在のような御授戒文に統一されたのは、昭和四十一年二月九日付の「院達」
による。制定の理由書には、「授戒文に関する現状は、各寺約十指に余る夫々
の様式により実施しており、その中には、二、三意義に於て、過不足と思われ
るものも認められる。従って宗門的見地より統一する必要があると思われる」
とある。

 すなわち、末寺によって授戒文はバラバラであったのだ。

●授戒文の原形は日蓮宗か

 では、今の授戒文はどこから来ているのか? 

 『日蓮宗仏事行事集』(石川教張編)に日蓮宗の授戒について「授戒 ─ 
今身より仏身に至るまで、本門の本尊・題目・戒壇を持つことを誓う」と書か
れている。

 また、日蓮宗には「御経頂戴」という儀式がある。勤行の後に法主が「今身
より仏身にいたるまで、よく持ちたてまつる」と唱え、信徒も唱和する。どう
考えても、今の宗門の授戒文は日蓮宗を真似ているとしか思えない。

●日興上人も受持即持戒と

 宗門発行の『続 日蓮正宗の行事』には「三大秘法の御本尊を受持し、一生
涯信仰を貫いて行くことが、一切の戒や道徳の根本であると教えています。ゆ
えにこれを受持即持戒というのです」とある。

 日興上人も、『三大秘法口決』の裏書きに、「受持即受戒なり、経に云く是
を持戒と名く」(『富士宗学要集』)と記されている。末法における「受戒」
とは、御本尊を「受持」することであることは明白だ。
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