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新改革通信 131号  平成24年3月12日

創価学会出現以前の宗門の「秘史」(四)
70数年前は、全国で四万人の信徒、身延派の3パーセント

●七十数年前は、身延派の三パーセントしかいなかった宗門の信徒数

昭和十四(一九三九)年末現在の文部省宗教局調査
日蓮正宗と日蓮宗各派との勢力の対比

(信徒数)
日蓮正宗  四〇、二〇九名
各派 一、三一八、五二一名
(昭和十七年版『毎日年鑑』)

 今から七十三年前、昭和十四年末の日蓮宗各派の信徒数の合計は、約百三十二万人であった。それに対して、日蓮正宗の信徒数は、四万人。日蓮宗各派と比べると、一〇〇対三の割合である。
 この翌年の十月に創価教育学会第二回総会が開催され、三〇〇人が出席している。
この三〇〇人が戸田会長の時代には、七十五万世帯になり、池田会長就任時には三百万世帯に激増し、今や世界一二〇〇万人になっているのだ。
当時の資料によると、この総会では、組織の拡大に伴い、綱領、規約などが検討され、牧口会長、戸田理事長以下の役員が正式に決定されている。
宗門の僧侶や檀家では、決して真似ができない本格的な組織作りが始まっていたのだ。

●信心の血脈を放棄した宗門

 また、この総会の終了後に牧口会長は四人の青年を連れて、政党関係者の会合に出席し、軍国思想などを批判する講演を行っている。
その場にいた政治家たちが牧口会長に罵声を浴びせたが、牧口会長は、一歩も退くことなく、堂々と正義の声をあげたという。
 その三年後に、宗門は牧口会長や戸田理事長らを本山に呼び出し、「神札を一応は受けるよう会員に指示するようにしてはどうか」と申し渡しをした。
それに対し、牧口会長は「神札は絶対に受けません」と断言し、下山している。
この時点で、宗門は信心の血脈を放棄したと言える。

●宗門を謗法から救ったのは創価学会

 この当時、宗門は全国に約四万人の信徒を抱えていたが、そのほとんどが、勤行も折伏もせず、ただ、葬儀・法事に僧侶を呼ぶだけの、他宗と変わらない姿だった。
 今でも、大石寺の旧信徒の家を回ると、仏壇の他に神棚があったり、仏壇の中に仏像があったりする。
所化がお盆の経周りで訪問しても、誰も一緒に読経することもなく、一人でお経をあげるのが通例だ。旧檀家にとって、お経を唱えるのは僧侶の仕事なのである。
そして所化たちは読経のあとに、経机に置いてある御供養を持って帰る。
所化たちは謗法を見ても、見ぬふりをしなければならない。もし、少しでも謗法を指摘したら
「今まで住職に言われたことはない。昔からこうだ」
と、逆に怒られる。
 本山周辺だけでなく、全国の旧信徒もそうであったし、東京の旧信徒さえ、同じような信心状態であった。

●日顕も「創価学会のおかげ」と認めていた

日顕は青年得度七期生との目通りで次のように言った。
「お前たちも知っていると思うが、本山の周りは謗法だらけだ。しかし、学会のおかげで、だいぶましになった」
日顕自身がこのように、創価学会のおかげで、謗法が減ったと感謝していたのだ。
また、ある檀徒は、
「創価学会が宗門を折伏して、正しい信心に戻った」
と言っていたが、まさにその通りである。宗門を謗法から救ったのは創価学会なのだ。(続く)

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