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新改革通信 91号 平成二十年十月三日発行

いよいよ、宗門は冬の時代に突入。援助寺院は増え、宗内に広がる貧富の格差。贅沢三昧は阿部ファミリーだ
け。しかし、そのしわ寄せは全部、信徒に!

創価学会を破門した結果、宗門は坂を転がり落ちるように、疲弊するばかりだ。
特に、急激な信徒の減少により、末寺の供養は大幅に減り、寺の運営どころか、生活費の捻出ができない「援
助寺院」が増え続けている。

このままいけば、まもなく末寺の半数が援助寺院になると予想される。
ある住職によると、実態は援助寺院でありながら、本山に援助を申請していない、〃隠れ援助寺院〃もあると
いう。なぜ、援助を申請しないかというと、
「申請が面倒だし、いかにも本山にへつらうようで屈辱的だ」
「申請すれば、寺の会計をすべて本山に見せることになり、弱みを握られるだけだ」ということらしい。

また、本山周辺から伝わってきた話では、今まで、塔中坊の水道代をのぞく光熱費は大石寺の経費で支払われ
ていたが、それが自腹になったということだ。

 ただ、これは末寺から「塔中坊は蓄えが沢山あるし、楽でいい」という声が聞こえてくるので、その対応策
 であるという話もある。

●学会の供養で贅沢する日顕ファミリー

このように、地方の貧しい末寺の経済状態は、〃破綻〃しつつあるが、それに比べ、都市部にある一部の寺院
は、数億円の預貯金を持っている。

しかも、その数倍のお金を、私的な財産、家族名義の不動産などにして隠し持っている住職たちが少なからず
いるという。

特に、日顕ファミリーは,信徒の想像を超える裏金を持っていると噂されている。
その一部が、女房の政子名義の2億円近い豪華マンション、そして娘・百合子名義の高価なマンションである
ことは、すでに暴露されているが、それでも、〃そんなものはごく一部、氷山の一角ではないか〃という声も
ある。

ある住職は日顕について、「学会と和合していた時代に、さんざん金を貯めこんでから、学会を破門した。実
にずる賢い」と言っている。

しかし、学会を謗法呼ばわりしておきながら、その供養で贅沢をする。日顕は、ずる賢いどころか、畜生にも
劣る、卑劣な男である。

●貧富の差の「しわ寄せ」は信徒に

宗門の中で、「貧富の差」が広がりつつあるが、その「しわ寄せ」を受けるのは信徒である。

当然、援助寺院の住職たちは、自分たちの生活を守るために、信徒に供養を迫る。では、多少蓄えのある住職
はどうか? 結局、彼らも将来の生活に備えて、さらに信徒から供養を募るのだ。

すなわち、今の宗門にいる住職たちにとって、信徒は生活の糧でしかない。「そんなことはない」と言う者が
いるかもしれないが、それは大ウソだ。

なぜなら、破門した学会の供養で建立された寺院に、のうのうと住んでいること自体が、信徒の供養に恩など
感じていない証左である。

少しでも信徒に対して敬意があれば、破門した学会寄進の寺院に平然と住んでいられるはずがない。

信徒を蔑んでいるからこそ、謗法となじる創価学会の供養で建立された寺院に住んでいて恥じることもない。
また、大変な思いをして供養する信徒に感謝の心を示すこともなく、次から次へと、供養を迫ることができる
のだ。

●信徒差別の宗門に折伏は不可能

八月二十七日、二十八日に本山で行われた講習会で、阿部信彰と八木が、
「指導教師の一念で」
「止暇断眠で戦え」
「死に物狂いで」
等と、相変わらず、意味のない言葉を吐いている。

自らが広宣流布成就の大願を立てて、民衆のために祈り、実践しない限り、折伏などできるはずがない。

権威で脅かして、号令をかければ、結果が出るなどという信彰らの考え自体が浅はかであり、仏法の因果を無
視した外道の策である。

そもそも、信徒差別の宗門に折伏などできるはずがない。折伏とは、宗祖大聖人が『開目抄』で「常不軽品の
ごとし」と仰せの通り、慈悲の行為である。

常不軽菩薩は出家・在家を問わず「我れ、深く汝らを敬い軽んぜず」と礼拝し、四衆から悪口罵詈され、杖や
枝、瓦石をもって迫害された。

それはまさに、創価学会員の姿である。過去に創価学会の折伏により、讃岐の本門寺のように、宗門に帰一し
た寺は幾つもある。

しかるに、その学会員の折伏を馬鹿にして来たのが、日顕らである。すなわち、宗門は不軽菩薩を迫害する側
にいるのだ。

信徒を敬うどころか、信徒支配を企み、御本尊を盾に信徒を脅かして脱会を迫る。信徒が自分たちの言いなり
にならないとなれば、破門にして、挙句の果てに、八百万信徒の浄財で建立された正本堂を破壊する。

すべて、大聖人が示された「常不軽品のごとし」という言葉に真っ向から敵対する行為である。その結果、宗
門は因果の報いを受ける。これは道理であり、逃れることはできない。この因果の道理に照らせば、宗門の転
落はまだ、始まったばかりである。(編集部)

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新改革通信 92号 平成二十年十一月七日発行

駒井の役職解任が暗示するものは・・・日顕派追放の兆しか。
異体異心の宗門の行き着く先は「監視」と「密告」の醜い世界。

悪名高い、コマセンこと駒井専道(観行坊住職)が九月七日付で大石寺理事、御本番、一夜番御宝蔵番をすべ
て解任され、上野幼稚園の理事長職も失ったというニュースが宗門を駆け巡り、様々な憶測を呼んでいた。

 本山周辺から流れていた話は、駒井の金銭問題が発覚したということである。駒井は理事の立場を利用して、
 大石寺の弁当の発注を一手に引き受け、長年、業者からリベートを受け取っていたという。

 弁当といっても、三十万登山や毎年の同心会等の弁当であるから、相当の金額になるだろう。駒井について
 言えば、信心を利用して金儲けをしていたのだから、仏罰を逃れることはできない。

 大事なことは、この駒井解任事件は、単なる個人の問題ではないということである。日顕時代に発覚しなか
 った問題が、今になって発覚した、その背景こそ問題なのである。

●「C作戦」の情報部隊として動いていた駒井

 駒井の悪行について、宗門で知らない者はない。そんな札付きのワルが、本山の理事になることができたの
 は、日顕に巧妙に取り入ったからである。

 駒井は「C作戦」の情報収集部隊として動いていた。その証拠に、既に平成二年五月ころ、当時、御仲居を
 していた駒井の机の上に池田名誉会長のスピーチを盗聴したテープが置いてあったのが目撃されている。

 その二ヶ月後、あの七月、駒井は大坊食堂で所化に対し、学会批判の週刊誌を片手に「この先何があるかわ
 からない」と発言している。

 そして、いよいよ「C作戦」実行が間近に迫った十一月二十五日、駒井は本山の僧侶に「創価学会はもう日
 蓮正宗ではない」と発言し、さらに、十二月二十四日、学衆課の忘年会で「元旦から学会員の登山が出来な
 くなる。学会が離れても構わない。来年は創価班も本山から引き揚げる。輸送センターも必要なくなる。二
 十七日の宗会で〃あること〃が決定する」と発言した。その〃あること〃が、池田名誉会長の法華講総講頭
 の罷免であった。

●すべてを知っている駒井は、悪事をしても咎められなかった

 このように、駒井は、「C作戦」の全貌を知っていたし、ある意味では、駒井は「C作戦」実行の追い風を
 作った張本人とも言える。

 なぜなら、駒井が日顕に差し出した、池田名誉会長のスピーチを盗聴したテープが、「C作戦」実行のため
 の根拠となり、その反訳が「お尋ね」文書で使われたとも言われているからである。

 ここまで「C作戦」に深くかかわった男を処分すれば、何をしゃべるか分からない。だから、駒井は悪事を
 しても、咎められずにいたのである。

●日顕の威光が衰えたから、駒井は処分された

 その駒井が日如の時代になって、突然、悪事がばれて処分された。これは何を意味しているか。

 すなわち、駒井が頼みの綱としていた日顕の威光が衰え、日如の影響力が強くなっているということだ。

 日如派にとって、日顕の言いなりである駒井は危険な存在だ。おそらく、誰かが駒井の悪事を密告でもした
 のだろう。

 おそらく駒井は、今まで通り、日顕の威光を借りて何とかしのげると思っていたのであろう。しかし、駒井
 を守る者は、もう誰もいない。

 先日、元法道院在勤であった吉田道善が内事部のセンター長になり、日如の義弟である主任理事の佐藤慈暢
 は随分やりやすくなったようだ。

 その影響か、少しずつ、本山の雰囲気が変わってきている。つまり、日如の機嫌を伺う者が少しずつ、増え
 ているということだ。

 この駒井の処分は、日如が日顕の匂いのする者の追放を始めたことを暗示していると言う者もいる。かつて、
 日顕が達師の匂いのするものを全部、処分させたように。

●「密告社会」化していく宗門

 今、宗門の住職が恐れていることは、「密告」である。最近、処分されている住職のほとんどが、信徒によ
 る投書が原因であると言われている。

 今の宗門に「広宣流布」の大願はない。ということは、異体同心の信心もないということだ。異体同心の「
 同心」とは「広宣流布を目指す信心」である。しかし、今の宗門は誰もが、〃自己の保身〃しか考えていな
 い。だから、宗門は「異体異心」である。

 「異体異心」の世界は、疑心暗鬼の世界でもある。誰もが他人を妬み、足を引っ張ろうとする。そのために、
 互いに監視し合い、他人の落ち度を見つけるなり、密告する。

 今までは、信徒が密告するというパターンであったが、今後は、日如派の住職が、日顕派の住職を密告する
 ということが起こるであろう。

 日顕の威光を借りて、甘い汁を吸っていた者が、ターゲットになる。その一人目が駒井だったと言われてい
 る。

 宗門が創価学会を破門したことは、広宣流布を妨害する「破和合」の大罪である。創価学会の存在により、
 何とか宗門は広宣流布の信心につながることが出来ていた。しかし、宗門はその「信心の血脈」を自ら切断
 したのである。それが如何に罪深いことか、これから宗門の住職たちは本山・末寺で眼前に起こる現証を目
 にすることであろう。(編集部)

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新改革通信 93号 平成二十年十一月二十八日

"出家"の思い上がりを象徴した創価学会の"破門"
その傲慢さが宗門を破滅に追いやる

平成三年十一月七日、宗門は創価学会に対して、「解散勧告書」を送付し、それに従わないからという理由で、
同月二十八日、「破門通告書」なるものをつきつけて来た。

簡単に言えば宗門は〃在家のくせに生意気だ〃という感情から、創価学会に制裁を加えようとしたということ
だ。

当時の宗門は、〃信徒は権威で脅かせば、ひざまずく〃と思い上がっていたのだ。

 そもそも、創価学会は独立した法人であり、それを宗門が破門することはできない。

●〃血脈信仰〃という迷信はもう通用しない

しかし、彼らは〃血脈信仰〃という迷信が、まだ通用すると思い込んでいた。

 すなわち、宗門の言う「破門」とは〃学会に対して、血脈を絶つ〃という意味だ。

分かりやすく言えば、水道局が一般家庭に対して供給する水を止めるというようなものだ。

 この馬鹿げた発想には、水(血脈)は自分たちの占有物だという思い上がりがある。

しかし、水(血脈)はすべての人に平等で、誰かの占有物ではない。その人の信心で、どこにいても受けるこ
とができるのである。

大聖人が大御本尊を顕したのは何のためか。

大聖人は「一切衆生に法華経を信ぜしめて仏に成る血脈を継がしめんとするに」(御書全集 一三三七頁)と
仰せである。

すなわち、御本尊により、万人に直接「仏になる血脈」を受けさせるためである。それこそが、大聖人の出世
の本懐であったはずだ。

その真実に目覚めている創価学会員には、〃迷信〃は通用せず、宗門の思い上がりは一笑に付されたのだ。

●迷信にすがる宗門はすでに〃死に体〃

創価学会は、一人一人の自立した御本尊根本の信仰の上に成り立っている。だからこそ、どんな難を受けても
乗り越えることができる。

しかし、宗門はそうではない。今の宗門は「血脈信仰」という〃迷信〃にすがっているようなものだ。

 そして、その〃迷信〃に依存しているからこそ、僧侶たちの信心は堕落する。〃宗門から離れれば、血脈は
 なくなる〃という脅しが通用し、自らの信心を深める必要がないからだ。

戦時中もそうであった。宗門は「檀家制度」と「血脈信仰」という〃迷信〃の上に、長年あぐらをかいていた
ために、信心を見失っていたのだ。だから、国家権力を恐れて、神札を受けるという謗法を犯してしまった。

また、〃迷信〃を信じている信徒たちは、常に僧侶を批判することを恐れてしまう。目の前にいる住職たちの
堕落を見ても〃見ぬふり〃をしている。だから、僧侶は思い上がり、いよいよ堕落する。悪循環である。

そういう意味では、すでに宗門の僧侶は信心を失い、「死に体」なのだ。

ただ、檀家制度と同じで、〃迷信〃が効力を発している間は、僧侶たちは〃衣の権威〃で、信徒を支配できる。
たとえば、「塔婆供養をしないと故人は成仏しない」などと、信徒の弱みに付け込んで供養させることもでき
る。

だが、信徒が自立した信心に目覚めた時、それらの見せ掛けの手段はすべて崩壊する。

●〃迷信〃を崩壊させた張本人は日顕

「血脈信仰」という〃迷信〃を崩壊させた張本人は他ならぬ、日顕である。

なぜなら、血脈を占有しているという日顕が、シアトル事件、芸者写真問題、高級料亭での豪遊など、枚挙に
暇がないほど、卑しい姿を自ら満天下に示した。

そんな堕落僧が「血脈は絶対」などと言っても誰も信用しない。かえって、〃血脈とはまやかしにすぎない〃
と信徒に思わせるだけだ。

それでもまだ「血脈信仰」に惑わされていた壇徒の目を覚ましたのが、「正本堂破壊」という日顕の暴挙であ
った。特に海外では、壇徒がその事実を知って、なだれをうって脱講した。

そして極めつけは、日顕の「大御本尊偽物」発言であった。宗門が「伝家の宝刀」として利用していた大御本
尊を、日顕自ら否定したのである。その時点で、法主の権威も、そして血脈の威信も崩壊したも同じである。

●出家の慢心が宗門を潰す

 今、世界は百年に一度という大不況である。いよいよ日本でも、実体経済に影響が出はじめ、リストラが始
 まった。新卒の内定までが取り消されたり、中小企業の倒産という深刻な事態になっている。

そんな時に、日如らは、今まで以上に信徒から供養を集めようとしている。その感覚が異常なのだ。

 彼らが供養を集めようとすればするほど、信徒は苦しみ、脱講していくだろう。しかし、宗門の僧侶たちは
 自分のことにしか興味がないから、そのことが分からない。

衣を剥ぎ取られて、社会に放り出されれば、何も出来ない者たちが、信徒をあごで使う。この「慢心」が、宗
門を潰すことは間違いない。(編集部)

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新改革通信 94号  平成二十年十二月十九日発行

〃ポスト日如〃に揺れる宗門。そして、世界大不況が明年の総登山を直撃する。
檀徒は供養地獄で瀕死の状態!

今日、十二月十九日、日顕は八十六歳となる。日顕は隠尊であるものの、宗門の全住職が、この日顕の誕生日
を祝うわけではない。

宗門は師僧や在勤寺院による派閥と、婚姻による閨閥で構成されている。日達門下の「妙観会」、早瀬系の「
宝器会」、そしてそれに対抗するために、日顕が旗揚げした「越洋会」だ。

日顕の誕生日を祝うのは「越洋会」だけだ。

他の住職らの関心は日顕の誕生日ではなく〃日顕の身体がいつまで持つか〃ということにある。

●日顕に何かあれば、信彰は法主になれない?

以前にも述べたが、日如が登座した頃は、陰で〃日如は信彰を法主にするための、ワンクッション、五年間だ
けのつなぎの法主〃と言われていた。

しかし、最近、日如の周辺から〃日如さんは死ぬまで辞めないつもりらしい〃という声が漏れ伝わってきた。
これが本当だとすると、日顕の〃日開、日顕に続いて、阿部家から三人目の法主を出す〃という目論見が危う
くなる。

●日顕派と日如派、それぞれの思惑がぶつかる

日顕は自分が元気なうちに、隠尊の権威を駆使して、息子の信彰を法主にしようと企んでいる。

現実には有り得ないかもしれないが、万が一、日如が不慮の事故などで相承できずに亡くなった場合は、隠尊
の自分が信彰に相承するという、究極の裏技も使える。

しかし、逆に日如が猊座にいる間に自分が亡くなれば、自分の影響力も消滅し、次期法主は早瀬系になる可能
性が高まる。

日如は昭和十年二月生まれであるから、間もなく七十四歳になる。日顕よりも十二歳も若い。

もし、本当に、〃日如が死ぬまで猊座にしがみつく〃のであれば、これは日顕にとって思ってもみなかった誤
算になる。

そういう意味では、日顕の誕生日は、〃自分の元気なうちに信彰を法主に〃という日顕の思惑と、〃日顕が亡
くなった後に早瀬系から法主を〃という日如の思惑がぶつかる日と言うこともできる。

日顕は宗内に自分の存在をアピールし、早瀬系は日顕の体調を窺がうのである。

●号令だけで人を動かそうとする日如の浅はかさ

日顕と日如の大きな違いは、宗門運営の手法にある。日顕は感情のまま、その場の思いつきで、宗内を動かそ
うとする。それは、日顕が自分の力を宗内に示したいからだ。

それに対して日如は、小ズルイ。法主になった途端に、「地獄の大願寺」時代の暴力路線を切り替えて、愛敬
を振りまくようになった。

親修の際にも、日顕はふんぞり返って、檀徒に伏拝をさせて悦に入っていたが、日如は、ニコニコしながら、
檀徒にもお辞儀をする。意図的に日顕とは対照的に演じている。

その小ズルイ日如は、日顕のように、自分の下に人を集めるのではなく、方面別の大会を行い、地方の組織を
盛り上げながら、明年の総登山に勢いをつけようとした。

こういう手法は学会の物真似としか思えないが、形だけ真似ても、人は動かない。結局、〃目標を立てさせて、
それを檀徒にやらせる〃という宗門坊主特有の「檀徒支配」の手法に陥り、無理な結集によって、かえって信
徒に負担をかけ、組織を疲弊させるという裏目に出てしまった。

信仰の歓喜がない宗門檀徒は、はるか遠いゴールに向けて、スタート時点ですでに体力を使い切って倒れかけ
ている。そして、その倒れかけている檀徒に大不況が襲いかかろうとしている。

●世界大不況が総登山を直撃する

 アメリカから始まった百年に一度といわれる不況は、世界に広がり、明年は想像もつかない規模で、経済の
 破綻が広がると言われている。そして、その兆候が毎日のニュースで報じられている。

日本ではリストラされた人々が寮や社宅を追われて、生活費どころか住む家もないまま、この年末を迎えねば
ならない。専門家は、この不況は明年の春から、極めて深刻な事態になり、失業者は三百五十万人近くになる
と分析している。

つまり、宗門は日本経済が最悪な時に、「五十万総登山」を行うことになる。日如らは不況であえぐ檀徒に、
追い討ちをかけるかのように、年何度も登山させ、更には膨大な供養をさせようとしているのだ。

日本の檀徒も大変であるが、海外の檀徒の負担はそれ以上である。なぜなら、この円高で、海外から日本への
渡航費用は、軒並み、倍になっているからだ。

すでに先月から、日本への一般観光客の数は半減している。そんな中で、宗門が無理やりに海外からの登山を
強行すればどうなるか。

〃登山しないと宿命転換できない〃と脅されている檀徒は借金をしてでも登山するしかない。しかし、その結
果、檀徒の生活が破綻しても僧侶は、決して責任をとらないし痛みも感じない。

供養を絞り取られるだけ、取られて、供養が出せなくなれば、捨てられる。檀徒を生活の糧とする、それが宗
門のやり方だ。

世界が節約に向けて努力している中で、日蓮正宗だけが、世の中に逆行して、檀徒を無理やり日本に呼び、供
養地獄に招き入れようとしている。世間の人はそんな宗教をどう見るであろうか。宗門は世界中で、非常識で、
非人間的な非理非道の教団というレッテルを貼られるに違いない。(編集部)

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新改革通信 95号  平成二十一年一月二十三日発行

"実質的に破綻している総登山"は宗門を疲弊させるだけ。宗門が疲弊すればするほど、「C作戦」を実行した
日顕への責任追及が激しくなり、「除歴」は、もはや必至である。

 平成二十一年が明けたが、宗門住職・檀徒にとって暗い新年となった。
宗門の檀徒は、世界的な不況で生活が脅かされている上に、宗門から、度重なる供養、複数回の無理な登山を
迫られている。その経済的負担に皆悲鳴をあけている。

 同時に、末寺の住職も登山のノルマを課せられて精神的に追い込まれている。その上、本山への供養が増え
 れば増えるほど、末寺への供養は減るから、今までにまして、生活は圧迫される。

 ●実質的に破綻している総登山

 「五十万総登山」は、一人の檀徒が複数回行かなければ、達成できない。これは、実質的に破綻している計
 画だ。中には毎回、通算五回以上の支部登山に参加する者もいる。

 同じ檀徒に何回も、登山をさせて、一体、何の意味があるのか。それで登山者数を上乗せしても、実体のな
 い数が累計されていくだけだ。

 そこに信仰的な意義があるとは思えない。かえって檀徒から信仰の歓喜を奪うだけである。
 なぜなら、無謀な登山計画は事故を招く可能性が高い。また、無理な行程により、健康を害す者も出るだろ
 う。何よりも、複数回の登山は、檀徒に経済的に大きな負担を与える。

 一月三日と四日に初登山が行われたが、例年に比べ登山者数は激減しているし、登山者が一時、行方不明に
 なるという事故も起こっている。

 このように、檀徒は消耗品のように扱われ、全国のあちらこちらから、無理な登山に対する批判・不満が出
 はじめている。

 それは住職たちも同じで、無理なノルマと、登山者数の数合わせで、嫌気を感じ始めている。

 執行部はただ、号令さえかけていればいいが、どこの末寺も爆発寸前の檀徒の不満を抑えるために必死であ
 る。

  ●温泉を目玉に人集めする讃岐・本門寺

 末寺の住職の中には「数さえそろえばいいのだろう」と開き直っている者もいる。たとえば、讃岐の本門寺
 の横田智研だ。

 本門寺の当初の登山目標は八百人だったが、宗務院より増員を迫られて、目標を千百人にした。では、どう
 やってその人数を確保するか。横田の考えは単純だ。観光で人を誘うというものだ。本門寺は五回の支部登
 山を計画しているが、その内容は、登山が主ではなく、観光が主である。その行程を見てみると。

・夜、寺を出発し、檀徒はバス内で宿泊。
・午前七時に本山に到着。
・昼過ぎに本山を出て、温泉旅館で一泊。
・翌日、観光を終えてから帰着。


 本山にいるのは数時間で、あとは観光である。しかも、五回の支部登山は、毎回、その観光名所が変わる。
 檀徒に配布された登山勧誘の書類には、「お宮の松」
「桜祭り」「梅祭り」「露天風呂とかけ流し温泉」「天女伝説の三保の松原」などと観光名所が紹介されてい
る。

 同じ檀徒が複数回、申し込みするように、わざわざ、観光場所を変えるという巧妙な手口だ。

 おそらく、本山はこの事実を知っても、黙殺するであろう。彼らにとっての優先事項は、登山者の数だから
 だ。

 このような方法でしか、登山者を増やすことが出来ないという事実が、総登山の破綻ぶりと、宗門の疲弊ぶ
 りを象徴している。


  ●自滅の道を突き進む宗門

 今、宗門は最悪の事態を迎えている。日顕は池田名誉会長に対する嫉妬から、「C作戦」という謀略で創価
 学会を破門した。その結果、宗門の檀徒数は数万人となり、今や、三分の一以上の末寺が自活できない「援
 助寺院」と化している。

 その上、日顕が見栄で作った「法教院」を存続させるために、毎年、得度者を取り続けているため、無任所
 教師が増え、今後、数年で宗門の教師の半数近くが無任所教師という、かつてない危機的状況を迎える。

 それに加えて、、教師が増えるのに対して、脱講で檀家が減るという、宗教団体としては致命的な自滅の道
 を進み始めている。

 さらに、海外登山にしても、世界的な不況の中、強引な登山啓蒙と供養の強要、そして、世界の非常識、僧
 侶が上で檀徒が下という差別と権威主義。おまけに内容のない登山会では益々、海外檀徒の心が離れていく
 ことは間違いない。


  ●日顕が除歴される可能性は、高まる一方

 この無茶な登山の悪影響は、今年だけではなく、来年以降にも顕著に現れるに違いない。

 檀徒の寺離れは進み、宗門は勢いを失う。高齢化している法華講は一気に縮小するであろう。

 この宗門の衰退を招いたのは、日顕である。

次期注主か、その次の法主か、いつか必ず、「日顕こそ、宗門衰退の元凶」と、指摘する法主が出てくるのは
火を見るより明らかである。
そしてその時に、日顕は、

・創価学会を「C作戦」で破門した極悪人、
・広布の進展を阻んだ破和合僧
・本門の戒壇たる大殿堂を破壊した大謗法者

 というレッテルを貼られて、

・第六十七世日顕は、法主として相応しくないので、
・その名を歴代法主から削除する

 と宣言されるのだ。(編集部)

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新改革通信 96号  平成二十一年二月十一日発行

"死ぬに死ねない"日顕の事情。
信彰の暴力に、日顕の弟子一期生が反乱。信彰を次期法主に
しようとする日顕の野望も崩れる!宗内全体が成り行きを見
守っている。

 すでに「同盟通信」等で報じられているが、網走・得成寺の住職・里内信徳が庶務部長の阿部信彰から暴行
 を受けたとして、十二月十八日、富士宮署に被害届けを提出した。

 里内は、得成寺檀徒からの投書により、本山に呼び出され、阿部信彰から査問を受けた。その際に、感情的
 になった信彰が机を蹴り上げて、それが里内の身体に当たった。

 里内は痛みがひどく、いつまでも腫れがひかないので、病院に行ったところ、「左腰打撲、内出血、左腰蓋
 骨骨挫傷で約一ヶ月の安静、加療を要する」と診断されたというのだ。

 庶務部長という要職にある者が、このような暴力事件を起こすとは、恥ずかしい限りであるが、なによりも、
 その当事者の信彰に何の咎めがないということが重大な問題であろう。

●信彰に咎めがないことは、日顕が宗門を私物化している証拠

 どんな理由があっても、実際に住職に怪我を負わせたのだから、信彰に対して何らかの処分があって当然で
 ある。

 なぜ、信彰は何の咎めを受けることがないのか。それは、単純明快で、日顕の息子だからだ。

 今の宗門は、完全に日顕に私物化された「日顕宗」である。だから、孫の正教は、得度した年に問題を起こ
 して下山処分を受けたが、還俗を逃れた。このことは、宗門人で知らない者はいない。

 そして、娘の百合子や政子が高級マンションを所有していたことが発覚しても、表立った問題にならずに済
 んでしまった。


●日顕の弟子の反乱は日顕にとって大きな脅威

 今回の事件で、宗内の僧侶が一番、驚いたことは、信彰を告発したのが、他ならぬ、日顕の弟子の一期生で
 あるということだ。

 日顕の弟子の中心者は信彰である。日顕は信彰を次期法主にして、それを自分の弟子が支えるという野望を
 持って越洋会を作った。

 ところが、自分の弟子の一期生がその日顕の野望を揺るがしたのだ。

 里内の告発ほ、実は、氷山の一角である。信彰の暴力体質は日顕譲りであるが、日顕の弟子の中で、信彰の
 暴力の犠牲になった者は少なくない。特に、信彰の寺に在勤した所化たちは、日常的に殴る・蹴る、の暴力
 を受けてきた。

 日顕は自分の弟子が信彰を支えると勝手に思い込んでいるようだが、日顕の弟子の多くが信彰を嫌っている。
 里内の告発がそれを証明している。


●前法主に違輩する前例を作ったのは日顕

 日顕が今、心配していることは、もし、信彰以外の者が次期法主になった時のことである。

 日顕は法主になった途端に、大奥から始まって、前法主の建立した建物を次々に破壊し、日達法主の功績を
 悉く、消し去った。

 その悪事に対して、日達法主の弟子らは深い恨みを抱いている。

 同じことを次期法主が行い、自分の功績がすべて破壊され、遂には歴代から「除歴」さるかもしれないと、
 日顕は自分で作った前例に怯えているに違いない。

 そのような悪夢を防ぐには、息子の信彰を次期法主にするしかない。ところが、その信彰が自分の弟子に対
 して、暴力事件を起こしてしまった。自分が生きている間なら、信彰をかばうことができるが、もし、自分
 が死んでしまえば、どうなるかわからない。信彰が今回の暴力事件のために、次期法主候補からはずされる
 可能性もある。

 また、何とか信彰が法主になったとしても、果たして自分の弟子たちが信彰を支えていくのか。

今回の自分の弟子の反乱で、日顕は不安を感じはじめている。
 だから、日顕は死ぬに死ねないのだ。


●「差別」と「服従」しかない宗門

 宗門は「差別」と「服従」で成り立っている。

 日顕が弟子に暴力を振るうのは、弟子に絶対服従を強いるためである。そこに、真の師弟はない。
だから弟子たちは日顕のことを陰で「クソジジイ」となじる。

 また、信彰が後輩に暴力を振るうのは、兄弟子である自分に服従をさせるためである。日顕の弟子の世界の
 上下関係は、「法臘」に基づいた差別で出来上がっている。

 彼らには師を求める向上心も、広宣流布への息吹も、同志愛もない。彼らが常に考えているのは、"相手が
 自分より上か、下か"だけである。自分より上であれば、服従を装う。自分より下であれば、支配しようと
 する。

 そして、その延長に、「僧俗差別」がある。信者は僧侶に服従し、僧侶の生活を支えるだけの存在でしかな
 い。


 大聖人は「此の十法界は一人の心より出で八万四千の法門と成るなり、一人を手本として一切衆生平等なる
 こと是くの如し」(御書 五六四頁)と仰せであるが、宗門の世界はこの対極にある。

 その元凶は日顕であり、宗門は日顕を手本として、差別の世界を作り上げている。その先にあるのは、「自
 界叛逆」でしかない。

 今回の日顕の弟子の反乱は、その始まりである。宗内全体が、この成り行きをかたずをのんで見守っている。
 (編集部)

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新改革通信 97号  平成二十一年三月四日発行

〃死ぬに死ねない〃日顕の事情(二)。
日顕を脅かす「相承箱」は時限爆弾。爆発すれば、六十七世、六十八世は吹き
飛び、宗門はリセットされる!

 日顕には死ぬに死ねない事情がある。

 一つは、前号で述べた通り、自分が生きている間に信彰を法主にしないと、自分の死後、日顕の名が歴代か
 ら削除される可能性が大きくなる。

 それだけではない。何よりも大きな問題は「相承箱」の行方である。その鍵を握っている人物は日達法主の
 弟子の中にいると言われているが、その他にもいた。それは河辺である。

 ●「六十七世はいないんだ」と発言した河辺

 河辺が「六十七世はいないんだ」と発言したことは、今では宗内で知らない者はいない。

 河辺は、はったりを言う人間ではない。確証がない限り、そのような重大発言をするはずがない。

 河辺のやり方は、相手の弱みになる証拠を掴み、その証拠を相手につきつけるというものだ。

 例えば、河辺は日顕の〃大御本尊偽物発言〃のメモで、二度、日顕本人を脅かしている。

 一度目は、河辺が昭和五十五年六月に、徳島の敬台寺から東京・江東区の妙因寺に栄転した時である。河辺
 は、〃戒壇の大御本尊は偽物だと言ったことをマスコミに流すぞ〃と日顕を脅した。

 二度目は、平成十一年に、河辺が札幌・日正寺から新宿・大願寺に移った時である。メモを書いた本人であ
 るにもかかわらず、何の咎めもなく、新宿という一等地の寺に入るという異常な人事がこのメモの信憑性を
 一気に高めた。

 このように、死ぬ間際まで日顕を恐喝し続けた河辺が「六十七世はいない」と言った裏には、日顕が血脈相
 承を受けていない確証があったに違いない。そしてその中には「相承箱」の行方も含まれていたのだろう。

 ●日顕の死後、日顕派の勢いは失われる

 河辺が亡くなり、脅威は去ったかと思ったが、そうではない。日顕は「相承箱」のことが頭から離れないに
 違いない。

 今、「相承箱」は一体、どこにあるのか。そして、その「相承箱」がいつ、宗内僧侶の目の前に現れるのか。

 一番、可能性が高いのが、日顕の死後である。なぜなら、今は血脈を自己申告した日顕本人がいるから、そ
 れを支えているもの達はまだ、勢いがある。しかし、血脈を自己申告した当人がいなくなれば、それを支え
 る物たちは必ず、勢いがなくなるからだ。

 ●日顕の死後に「相承箱」が出て来たら・・・

 では、日顕の死後、「相承箱」が出てきたら、何が起こるか?

 まず、問題になるのは、相承を受けた日顕が実際には、「相承箱」を持っていなかったことだ。ということ
 は、血脈相承はなかったということが確定されてもおかしくない。

 少なくとも、日顕が相承を受けたことが「自己申告に基づく策略ではないか」という疑惑が出る。

 そうなると宗内には、「相承箱」を持つ人物、もしくはグループと、「相承箱」はないが、「自分が指名さ
 れた」と主張する日顕の流れを汲むグループの二派が存在することになる。

 ●宗門の「南北朝時代」が始まるか

 そこで主導権を持つのは、「相承箱」を持つ人物ないし、グループである。自己申告した日顕がいないのだ
 から、「相承箱」の存在価値は絶大である。そうなると、宗門のとる道は二つである。

 @、テレビゲームがリセットされて、最初のステージに戻るように、歴代もリセットされ、六十六世日達法
 主が亡くなった状況から、再出発となる。 すなわち、六十七世はもちろんのこと、偽りの六十七世が指名
 した六十八世も無効となり、歴代系譜から削除されるということだ。

 A、かつての「南北朝時代」のように分裂である。鎌倉時代末、天皇家は皇位継承を巡って大覚寺統と持明
 院統に分裂した。そして、足利尊氏が三種の神器を接収し持明院統の光明天皇を擁立して北朝を開き、後醍
 醐天皇は吉野へ逃れ、「北朝に渡した神器は贋物であり光明天皇の皇位は正統ではない」と主張して吉野に
 南朝を開いた。

 これと同じようなことが、起こり得るということだ。「相承箱」はまさに宗門にとって「三種の神器」だ。
 もし、そうなれば、日顕派は〃相承箱は偽物〃と騒ぎ立てるだろう。

 ●信彰が法主になれば、信彰が分裂の起爆装置に

 宗門にとって、最悪のシナリオは、信彰が法主になることだ。そこに「相承箱」が出現すれば、一気に宗門
 が分裂に動く可能性があるからだ。

 日顕の弟子も含め、多くの住職らが〃バカ信彰の下にいられるか〃と言って、「相承箱」を持つグループに
 流れ込む。しかし、信彰はバカだから、法主の権威を振りかざして、〃俺様に従わないものはクビだ〃と事
 態を悪化させ、「相承箱」派が急増し、分裂が決定的になるかもしれない。

 〃死ぬに死ねない〃日顕の前に、いずれにしても、「相承箱問題」という時限爆弾のタイマーは動き出し、
 刻々と日顕派を破壊する時を待っている。(編集部)

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新改革通信 98号  平成二十一年三月二十四日発行

〃死ぬに死ねない〃日顕の事情(三)。
「血脈信仰」を自ら破壊した日顕のせいで、本山の存在価値は下がり、日顕の
死後、新たな離脱が起こる?

 宗門では「立正安国論正義顕揚七百五十年」と銘打って、三月から、本格的な登山が始まったが、同じこの
 時に、不況も本格化している。

 電機業界では世界同時不況により、各社の業績は急速に悪化。ある大手企業は、三月期は営業損益が二千八
 百億円の赤字となる見通しである。

●世間では、不況が本格化

 宗門の坊さんたちは、世間のことなど無関心で、自分たちの生活のことしか考えていない。しかし、世間は
 「百年に一度」と言われる深刻な不況で、「不況自殺」の増加が問題になっている。

 昨年末、ある男性は、寮も追い出され、東京に出て安いホテルなどを転々としながら仕事を探したが見つか
 らない。所持金もなくなり、自殺しようと、富士山のふもと、青木ケ原樹海へと入ったが死にきれず、警察
 に保護された。

 「全国クレジット・サラ金被害者連絡協議会」は、自殺者が多い樹海に、借金の相談を呼びかける看板を設
 置し、すでに多くの相談が寄せられているという。

 これは他人ごとではない。このままいけば、宗門でも、登山や供養が檀徒の生活を圧迫し、生活苦に追い込
 まれる者が続出するかもしれない。

●登山のことより、自分の死後を気にする日顕

 宗門の中で、唯一、登山のことを気にしていない者がいる。それは日顕だ。日顕にとって、登山は日如の仕
 事であり、自分には関係ない。あえて言えば、失敗しても自分のせいではないと無責任な高みにいる。

 日顕にとって、一番の気がかりは、自分の死後である。前号で述べた通り、「相承箱」の問題や後継者の問
 題が、日顕を死ぬに死ねない状況に追い込んでいる。

 まず、信彰以外の者が次期法主になった場合、自分の死後、その法主が宗門の衰退の原因を日顕のせいにし
 て、六十七世・日顕を歴代から削除する可能性が大である。

 また、信彰が法主になったとしても、日顕の死後、「相承箱」を持つ者が名乗りをあげ、その者に宗門の主
 導権を握られる可能性がある。最悪の場合は、〃日顕は相承を受けていない〃と裁定され、六十七世も六十
 八世も帳消しとなり、再度、正統・六十七世が就任することも充分考えられる。

●日顕のせいで始まった「離脱」

 この他にも、日顕の死後に、あることが起こる可能性がある。それは宗門からの「離脱」である。

 日顕は、本門の戒壇たるべき正本堂を破壊し、大御本尊を偽物扱いした。また、初の海外渡航での不埒な所
 業で、宗門の尊厳を損なった。〃こんな人間が受けたという血脈に、如何ほどの価値があるのか〃と誰もが
 思っている。

 今までの宗門では、「離脱」などということは誰も考えたことがなかった。いわゆる「血脈信仰」から言え
 ば、宗門を離脱することは、自ら血脈を断ずる自殺行為と考えられていたからである。

 ところが、平成になって、日顕の「C作戦」という謀略が発覚し、多くの寺院・僧侶が、日顕を糺すために、
 宗門を離脱して、創価学会と行動を共にした。

●保田・妙本寺の離脱は宗門に衝撃を与えた

 また、それとは別に、日顕に愛想を尽かして、独立するために、離脱する寺院も出てきた。その代表が、保
 田の妙本寺である。

 保田・妙本寺は、昭和三十二年に日蓮宗を離脱して、日蓮正宗に帰属した。当時の富士日照住職が、創価学
 会の勧めにより日蓮正宗への帰一を決意したのである。

 しかし、鎌倉日櫻能化は、この日顕の問題で、平成七年に日蓮正宗からの独立を決行した。

 この妙本寺の離脱は宗門に衝撃を与えた。なぜなら、改革同盟等とは別な、〃宗門からの独立〃という第三
 の路線が出来たからである。

 そして、宗門が恐れていた通りに、この第三の路線を選んだ寺院が出てきた。それが、千葉・報恩寺であっ
 た。報恩寺の笠松住職は、宗門の「ノルマ地獄」と「法主独裁」を批判して離脱し、独自に活動をしている。

●独立のための離脱という、新たな選択

 これらの寺院の離脱が証明しているように、「日蓮正宗」というブランドの価値はもう、ないに等しい。〃
 本山から離れたら地獄だ〃などという脅し文句も効力がない。

 いくら「日蓮正宗」という看板を掲げていても、檀家が増える保証はない。それどころか、無理なノルマを
 押し付けられ、上納金まで取られる。そして、いつ左遷されるかも分からない。

 こんな不満が、日顕の死後、爆発し、墓地などをもっている寺が自分たちの財産や地位を守るために、独立
 する可能性は高い。

 他宗派では実際にそういう動きが始まっており、一定の収入基盤を持つ寺院が単立化し始めている。

 そして、日顕が「血脈信仰」を破壊したために、いよいよ宗門でも同じことが起こるかもしれない。すべて
 は日顕の責任である。(編集部)

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新改革通信 99号  平成二十一年四月二十八日発行

 「僧俗差別」を説く日顕らは、大聖人を迫害した者たちと同じ立場にある。"民主化"という時代の波に逆行
 する、法主独裁の宗門は、前世紀の遺物でしかない。

 建長五年(一二五三年)四月二十八日、日蓮大聖人は清澄寺で、南無妙法蓮華経こそ、末法の民衆を救済する
 唯一の正法であると宣言された。

 しかし、念仏を厳しく批判した大聖人に対し、念仏の強信者であった地頭・東条景信は激しく憤り、大聖人
 の身に危害を加えようとした。

 すなわち、立宗は長く続く迫害の幕開けとなったのである。

 ●今の宗門は大聖人を迫害した側と同じ

 大聖人が戦った相手は、衣の権威で民衆の自由を奪っていた僧侶たちであった。彼らは僧俗差別を説いて民
 衆の地位を貶めていた。

 どんな人にも最高の生命境涯である仏界がある。しかし、当時の僧侶たちは、誤った教えと僧俗差別によっ
 て、その仏性を封じ込めたのだ。

 今の宗門も同じである。彼らは"成仏にも差別がある"という。すなわち僧侶の成仏と信徒の成仏とは違うと
 いうのだ。それは、信徒は、どんなに努力をしても僧侶を超えることができないという意味である。

 彼らにとって差別は自分の立場を守るための装置である。しかし僧俗差別を説くということは、宗門は宇宙
 大の生命境涯である仏界に差別を設けただけでなく、仏界を矮小化するという、反仏法の教えを説くことに
 なるのだ。

 ●宗門事件は試金石だった

 宗門事件というのは、宗門が僧俗平等の大聖人の教えを受け継ぐのか、それとも檀家制度の弊害でもある僧
 俗差別の道を選ぶのか、その選択を迫られた試金石だったとも言える。

 もし、宗門が衣の権威・出家の慢心を打ち破ることができていれば、宗門は、僧俗平等を貫く、真の日蓮門
 下の僧侶集団として、生まれ変わっていたかもしれない。

 しかし、日顕にはそれができなかった。「目通りかなわぬ身」という言葉に象徴されているように、出家の
 慢心に取り憑かれた日顕は、独裁者の道を選んだ。

 そして、他の宗門僧侶たちも日顕につき従い、カトリック教会が自分たちの立場を守るために、地動説を唱
 えたガリレオたちを迫害したように、宗門をあげて、池田名誉会長を非難し、僧俗平等を唱える創価学会を
 異端として、破門した。

●「下からの近代化」「民主化」に逆行する宗門

 第二次世界大戦後、世界はあらゆる分野で「下からの近代化」が進んでいる。

 日本の各宗派も、この数十年で教団の体制の民主化を進めている。具体的には、教義の裁定権を持つ「法主」
 と、宗内行政のトップである「管長」を分離している。また、宗議会の独自性が保証されているところも多い。

 しかし、宗門の場合、法主が管長を兼ね、宗門における全権力を持っている。

 また、日達法主の時代までは宗会が法主の辞職勧告を決議することもできた。現に、大正十四年十一月二十
 日、宗会は五十八世日柱法主の不信任案を成立させ、辞職勧告を決議している。

 ところが日顕は宗制宗規を変更し、宗会を無力化してしまった。今や、悪法主が出現しても、宗門には自浄
 する手立てがない。


●絶対的権力は絶対的に腐敗する

 歴史学者J・E・アクトンは次のような名言を残している。

 権力は腐敗する。絶対的権力は、絶対的に腐敗する。

 すなわち、専制的な権力を握った者は、すべてが自分の思いのままになるものと錯覚して、必ず腐敗するが、
 それを止めることはできないということだ。

 多くの先進国は、このアクトンの法則を防ぐために「三権分立」という政治制度をつくりあげた。

 一切の権力を手中に収めた日顕は、この法則の通り、宗内には綱紀自粛を徹底させ、その裏で自分だけは豪
 遊を繰り返し、腐敗の姿を晒した。そして、末寺が経済苦で喘いでいる中、女房の政子と娘の百合子が高級
 マンションを所有していることも発覚した。阿部ファミリーだけが栄華をきわめていたと言っても過言では
 ない。

 今の宗門は前世紀の遺物である。僧侶主導で広宣流布をしょうという発想自体がナンセンスである。

 日淳法主は既に大正十二年『講中制度について』と題する論文の中で、次のように述べている。


 当門の如く講頭或は役員に対して教師とせず、単に世話人の意味にのみ解して居ては充分活動してゆくこと
 ができません。従て目醒(めざ)ましい発展を来たすことはできないのであります。(日淳上人全集)

 日淳法主は、僧侶主導の布教の限界を指摘し、現代の大衆社会において広宣流布を進展させるには、"信徒
 に「教師」の資格を与えよ"と言われているのだ。信徒も僧侶と同じ資格も僧侶と同じ資格を持って布教をリ
 ードするという、今の宗門の僧俗関係を根本から変革する提案である。

 この日淳法主の願いは、創価学会の出現によって実現された。三代会長の不惜身命の戦いは、僧分を超越し、
 未来の広布の道を開いたのだ。
(編集部)

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新改革通信 100号  平成二十一年五月二十三日発行

日顕をはじめ、「破和合僧」である「C作戦」加担者たちの末路は無間地獄。
その悪行は永遠に歴史に刻まれる!

日顕らは「C作戦」という謀略で創価学会の破壊を目論んだ。仏意仏勅の広宣流布の団体・創価学会を破門す
ることは五逆罪のうちの「破和合僧」の大罪であり、その報いは無間地獄であると説かれている。

その謀略に加担したのが、当時の宗門役僧たちである。破和合僧を犯した者の悪名は永遠に歴史に刻まれ、取
り消せないのだ。それこそ、無間地獄の姿とも言える。

日顕に加担したのは、西片会議や御前会議に出席していた藤本日潤(当時の総監)、早瀬日如(当時の庶務部
長)、八木日照(当時の主任理事)、河辺慈篤、関快道。そして、その他の役僧の尾林日至(当時の海外部長)
、大村日統(当時の教学部長)、秋元広学(渉外部長)、長倉教明(財務部長)などである。

このうち、河辺はすでに亡くなっているが、大村が五月十一日、尾林がその二日後の十三日と、相次いで亡く
なった。

 彼らは、破和合僧の大罪を犯した者として、ユダヤ人大虐殺を行ったナチの戦犯と同じように、亡くなった
 としても、その罪は永遠に許されない。

第一次宗門事件と今回の第二次宗門事件に共通しているのは、信徒を蔑む〃出家の慢心〃である。

宗門僧侶が池田名誉会長と創価学会を批判する正当な理由などない。ただ「信徒の分際で」という僧俗差別か
ら来たものだ。僧侶なら許されるが、信徒にはその権限がないというのだ。

彼らは、「学会も供養を受ける資格がある」、「会館や研修所は現代の寺院」ということを問題であるとしたが、
僧俗平等の大聖人の仏法から見て、何の問題もない正論である。

裏を返せば、自分たちが供養を独占したい、供養する信徒を確保したいという卑しさと狡さの現れである。

また、「信心の血脈は創価学会に受け継がれている」ということに関しては、まさにその通りである。牧口会長、
戸田会長が軍部に屈せず、命を賭して信心の血脈を守ったのであり、その信心で宗門は守られたのである。と
ころが、日顕らは大恩ある創価学会を破門し、その命脈を自ら絶ってしまった。日顕らは死んだ後も、破和合
・忘恩の者として、極楽寺・良観らと同じく、天魔の系譜に永久に刻印されることになるのだ。(編集部)

--------------------------------------------------------------------------------新改革通信 101号 
 平成二十一年五月二十七日発行

 “死ぬに死ねない”日顕の事情(四)。日如の真の狙いは“法道院の奪還”。生き残りをかけた派閥の争い
 が静かに始まっている。

 大村と尾林が亡くなり、宝浄寺と妙光寺に誰が入り、どのように人事が動くのか、様々な憶測が宗内に飛び
 交った。

 誰かが死ぬということは、住職のポストが空くという意味であるから、いつも本山の無任所教師たちがソワ
 ソワする。

 しかし、今回は、東京の一等地にあり、元役僧の寺のポストが空くということで、中堅の住職たちが色めき
 立った。

 宗門では、東京の寺院に入ることが、住職としての出世コースである。日本の中心であり、何よりも金があ
 る寺院が多いからだ。現に、宝浄寺も妙光寺も億単位の預金があるといわれている。

 また、今回の人事の結果で、日顕と日如の力関係がわかるという意味でも注目を浴びた。そしてフタを開け
 て分かったことは、明らかに日如の色が濃い人事であるということだ。これは同時に日顕の影響力が弱くな
 っていることを意味する。

 日如が今回の人事で、真っ先に考えたのが長男の早瀬道寧のことであろう。道寧が入る応顕寺の一番のメリ
 ットは収入が安定していることである。応顕寺の檀徒はそのほとんどが法道院の神奈川方面の檀徒を譲った
 ものである。だから、新潟と違って収入が安定している。

 日如からすると、たとえ出来は悪くても、唯一の跡取りであるから、日顕にならって東京近郊で、なおかつ
 経済的に楽な寺に入れたかったに違いない。すでに娘(國島道保の女房)は府中にいるから、これで家族は
 安泰である。

 おそらく舟橋義秀は七十近いから、今さら動きたいとは思っていなかったかもしれない。裕福な宝浄寺だか
 ら、と言って説得したに違いない。また、宝浄寺を法器会以外の者に渡したくないという思惑もあったであ
 ろう。

 日如は早瀬家の長男として、法器会存続の責任がある。土居崎は高齢だから長くはない。その後に法道院系
 を入れるかもしれない。宗門が駄目になっても、法器会だけは生き残れる体制を作るのが日如の野望である。

 しかし、日如の真の狙いは、「法道院」の奪還である。八木の後にどうやって法器会の者を入れるか、日如
 は思惑をめぐらしているであろう。このままでは、法器会に宗門を牛耳られる。信彰の出番がなくなる。―
 ―日顕が一番恐れていることだ。だから、日顕は死ぬに死ねない。(編集部)

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新改革通信 102号  平成二十一年六月三十日発行

死ぬに死ねない〃日顕の事情(五)
尾を引く〃信彰問題〃 日顕親子の過剰な反応がかえって致命傷となり、信彰
の次期法主の可能性は限りなくゼロに!

〃何としても信彰を次期法主に〃という日顕の我欲の業報ゆえか、信彰が法主になる可能性がどんどん低くな
っている。

 信彰が得成寺の里内を査問した際に暴力を振るった、〃信彰問題〃。きちんとした対応をしていれば、大き
 な問題にならなかったかもしれないが、事件は急転し、里内が「擯斥処分」になった。

 暴力を振るった加害者の信彰が「停職十日」で、暴力を受けた被害者が「擯斥処分」とは、誰にも説明でき
 ない話である。

 宗門側は、里内が信彰を「告訴」したことを問題にしているが、そもそも、信彰がきちんと里内に謝罪をし
 て、それなりの処分を受けていれば、当然、告訴にまで発展しなかっただろう。

 加えて、信彰は宗内外の批判を封じるために、自分の処分を自分で宗内に知らせるという異常な手段を使っ
 た。しかも、その処分が「停職十日」という非常に軽いものであった。その十日も、ゴールデン・ウィーク
 をはさんでおり、実質的には数日のものでしかない。

 普通なら、役職辞任が妥当であろう。なぜ、このようなことになったのか?そこには、日顕の意向が働いて
 いるとしか考えられない。何としても信彰を次期法主にしたい日顕からすると、信彰の役職辞任は絶対にあ
 ってはならないことだ。

 なぜなら、かつて、日顕の父・日開がある事件で能化から降格され、法主候補からはずれ、時間かせぎに堀
 日亨上人を法主に仕立てたことがある。だから、絶対にそういう事態は避けたいのだ。

 また、信彰には〃自分は元法主の息子だから、何をしても許される〃という、傲慢さがある。だから自分の
 処分を自分で発表するという、社会性を全く欠如した行為に走るのだ。

 今回、日如は日顕親子の意向を受けた形にしておきながら、結果として、日如の思う壷である。なぜなら、
 こういう不公平な処分をすれば、〃信彰問題〃はさらなる話題になり、信彰を次期法主候補からはずす言い
 訳となるからだ。日如は巧みに日顕親子を自爆の方向に誘導したことになる。

 いよいよ、日顕親子と日如のかけひきが激しくなるであろう。今回の問題で信彰は致命傷を受けたことにな
 る、その状況を如何にして変えるか。もちろん、簡単なことではない。だから、日顕は死ぬに死ねない事情
 がまた一つ増えた。                             (編集部)

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新改革通信 103号  平成二十一年九月三十日発行

〃死ぬに死ねない〃日顕の事情(六)
日如の巧妙な罠か? 庶務部長からはずされた信彰の次期法主の可能性は消え、
遂に早瀬ファミリーが宗門を牛耳る!

 すでに「同盟通信」が報じているが、宗務院に新たに「布教部」というものが設置されるようだ。そして、
 庶務部長であった阿部信彰が、その任を解かれ、布教部の部長に就任する予定であるという。「同盟通信」
 はこの信彰の処遇を「更迭」と書いている。

 庶務部は宗務院の中枢と言って良い。日如は元庶務部長で、日達法主もそうであった。日如は、怒鳴るだけ
 しか能がない信彰に庶務部長などつとまるはずがないと思っていたに違いない。

 現に、信彰が庶務部長になってから、庶務部は機能しなくなった。その典型的な例が、信彰が得成寺の里内
 を査問した際に暴力を振るった事件である。

 この問題は宗内外で話題になり、信彰がどのような処分を受けるかに注目が集まった。ところが信彰は、自
 分の処分を自分で宗内に知らせるという異常な手段を使い、宗内をあきれさせた。常識では考えられないこ
 とである。

 そして今回、信彰は新設の「布教部」に移るという。誰の目にも、庶務部から追い出されたも同然と映る。
 なぜなら、「同盟通信」が分析しているように、折伏は宗門全体で取り組むもので、布教部は、大勢に影響
 はない名前だけの部署だ。

 当然、日顕は不服である。なぜなら、得体の知れない「布教部長」が次期法主になる可能性は低いからだ。
 しかし、信彰は暴力事件のことがあるから、ここは黙るしかない。そういう意味では、日如の作戦勝ちであ
 る。

 しかし、日如の狙いはもう一つあると言われている。信彰が布教部長になれば、学習能力のない信彰のこと
 だから、どうせ末寺住職を恫喝するに決まっている。第二・第三の里内が生まれ、大きな問題になる可能性
 が大きい。

 もし、信彰が大きな問題を起こせば、次期法主の道は完全に絶たれ、阿部一族の宗内支配の終焉となる。巧
 妙に仕掛けられた罠というわけだ。

主任理事の佐藤は自分の女房の弟、新庶務部長には自分が庶務部長時代からの子飼いである斉藤が就く予定だ
という。これで日如は内事部と宗務院という宗門の二大柱を手中に収め、完全に宗門を支配できる。あとは、
信彰が問題を起こすのを待つだけである。死ぬに死ねない日顕にとって、一段と前途が暗くなった。今までに
ないつらい秋冬となろう。(編集部)

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新改革通信 104号 平成二十一年十月十三日

 時が経てば経つほど、浮き彫りになる正本堂破壊の〃狂気〃
信徒の供養で建てられた堂宇を自ら破壊した僧は、仏教の歴史の中で、日顕た
だ一人!

昭和四十二年十月十二日、正本堂建立発願式
昭和四十三年十月十二日、着工大法要
昭和四十四年十月十二日、定礎式
昭和四十五年十月十二日、上棟式
昭和四十六年十月十二日、躯体完成式
昭和四十七年十月十二日、正本堂完成奉告大法要

 このように、正本堂の建立は世紀の大イベントであった。完成奉告大法要のビデオを見た者は正本堂の威容
 と厳かな式典の模様に息を呑む。

 ところが、平成十年六月二十三日、池田名誉会長に対する嫉妬の感情に支配された日顕の命により、突然、
 正本堂の破壊が始まった。この暴挙に対して、設計者の横山氏や建築家など多くの人々が反対を唱えたが、
 日顕はその声に一切、耳を貸さず、破壊を断行した。

 解体に際して、多くの一流建設業者は、その依頼を断った。当たり前である。社会的にも、人道的にも許さ
 れることではない。

 正本堂は普通の堂宇とは訳が違う。八百万信徒の浄財で建立された世紀の大殿堂である。これだけの大殿堂
 を正当な理由もなく破壊した事件は仏教史に存在しない。

 ましてや僧が信徒の浄財で建てられた堂宇を破壊するなど、絶対にあり得ないことである。すなわち、日顕
 の名前は〃反仏教の魔僧〃として永遠に刻印されるのだ。

 日顕は〃信徒の浄財を破壊する〃という、僧として決して許されない大罪を犯した。まさに〃狂気〃のなせ
 る業である。現法主の日如には絶対に出来なかったことであろう。

 しかし、日顕が犯した罪は、それだけではない。

 正本堂は単なる建物ではない。世界八百万信徒の真心の供養であると同時に、大聖人の御遺命である広宣流
 布のために戦った、師弟不二の信心の結晶である。

 すなわち、日顕は、宗祖以来の魂である師弟不二の信心に、自ら矢を向け、極楽寺良観と同じように、日蓮
 門下を迫害する側に回ったのだ。

 この〃狂気の蛮行〃は、時が経てば経つほど、浮き彫りになっている。いずれ宗門は日顕を歴代法主からは
 ずすしかない。不幸にも、日顕一人のために、日蓮正宗そのものが〃反仏教・反大聖人の団体〃となり下が
 っている。刑期執行と同じで、結論は出ている。あとは時間の問題である。(編集部)

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新改革通信 105号  平成二十一年十一月二十七日発行

一凶・日顕の末路(一)
宗内からの「法教院」批判、信彰の更迭、連続する火災。次々に起こる異変が
暗示する日顕の末路

平成二年七月の「御前会議」から始まった謀略「C作戦」実行、二十年目を前にして、宗門では様々な異変が
続いている。

それは一見、突発的な事件、点にしか見えないが、どれも一つの線でつながっている。

その〃線〃とは、〃日顕の権威の失墜〃である。

たとえば、宗会議員が「法教院」を無用の長物であると批判したが、このような事件は、日顕が法主の時代に
は起こり得なかったことである。

また、信彰が庶務部長を実質的にクビになり、何の権力もない「布教部長」に左遷させられるということなど
も、日顕が法主でないから、出来たことだ。これによって、信彰の次期法主の可能性は限りなくゼロに近づい
た。

すなわち、日顕が法主をやめ、早瀬体制が出来上がりつつあることによって、宗内にくすぶっていた〃恐怖政
治の悪法主・日顕〃への批判が、ゆっくりだが、表面化しているのだ。

日顕自身も、そのことを肌で感じているから、本山に滞在する時間を延ばして、存在感を示そうとしている。

また、三度続いた火災は、日顕の末路を暗示する瑞相である。宗門では昔から〃火事は福運を失くす、諸天が
去る〃と言われている。

@八月二十八日午後一時すぎ、宗務院近くの裏門南側の駐車場で車両十台が炎  上。A十月十一日正午(日本
時間十月十二日午前二時ごろ)、アメリカ・ワシント  ンの妙宣寺で「御会式」の最中に火災が発生。B十一
月十五日午後二時頃、総本山大石寺の総坊売店で火災が発生。

仏法では偶然はないと説く。すべては因果の現れである。本山の繁栄、世界への布教、どれも創価学会の存在
があったからこそ、成し得たものである。それを否定した日顕の忘恩に対する厳しい罰の現証と見ることがで
きるであろう。

平成三年十一月二十八日、日顕らは「破門通告書」を学会に送付した。大聖人の御遺命である世界広布を妨げ
た「一凶」である日顕を、すでに諸天が見放していること、すなわち日顕の命運がつきたことを暗示している
のだ。(編集部)

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新改革通信  106号  平成二十一年十二月十八日発行

一凶・日顕の末路(二)
 日顕は自分の名前を歴史に残すために「法教院」を作ったが、諸悪の根源・
「法教院」は日顕の死後、必ず封鎖される!

 八十七歳になる日顕が今一番、執着しているものは何か? それは「法教院」の存続である。

 なぜか? 法主と言うだけでは、代が変われば以前の法主は忘れ去られていくが、「法教院」が存続すれば、
 創立した日顕の名前が歴史に残るからである。

 しかし、その日顕の野望とは裏腹に、「法教院」の評判はすこぶる悪い。その理由は以下の通りだ。

@「法教院」は単なる私塾であり、文科省に認められていないので、卒業し  ても学歴にならず、卒業者は社
会的には「高卒」となる。

A以前は偏差値の高い高校を目指していた小僧がいたが、「法教院」にしか  行けない今では、どの高校に行
っても同じであり、勉学の意欲がなくなり、  必然的に学力が低下している。

B一般教養以外の教員は宗門僧侶に限られており、おざなりな授業になって  いる。そのような中で、広く世
間に通用する人材は生まれない。

C大坊の延長であり、閉鎖的な環境であるため、社会性のない人間となる。

D無任所が増えているのに、「法教院」を存続させるために得度者を採らな  ければならない。

E「法教院」を維持するために膨大な費用がかかっており、宗門財政を圧迫  している。

 他にも色々と指摘される問題点があるだろうが、このままいくと、宗内僧侶全員が「高卒」という現代日本
 の宗教界でも極めて例のない教団が誕生する。

 日顕は「法教院」を批判されると、常に過剰に反応する。宗会議員の有志が「法教院」に対して意見をした
 が、日顕はすぐに『吾が弟子一同に告ぐ』という文書で反論した。

日顕が恐れていることは「法教院」が消滅することにより、創立した日顕の無能力さが歴史に残ることである。

 しかし、宗内の中で一体、何人が「法教院は必要である」と思っているであろうか。皆無である。日顕の死
 後、その日顕の分身ともいえる「法教院」も、姿を消すことは宗内の大方の見通しである。(編集部)

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新改革通信 107号  平成二十三年七月十七日発行

日蓮正宗の〃狂信パンフ〃。〃日蓮正宗に帰依しなければ大震災が起こる〃と人々を脅し、法を下げる宗門!

三月十一日の東日本大震災からすでに四か月が過ぎた。世界中の人々が被災地の復興のために祈りを捧げ、様
々な支援が続けられている。

 そのような状況の中で「日蓮正宗」は「法華経の大良薬を以て此の大難をば治すべし・悲惨な災害を繰り返
 さないために・」と題したパンフを作成して配布しているが、その内容は被災者の恐怖をあおり立てる、反
 社会的なものだ。


●極端な思想を説く、カルト的な日蓮正宗

彼らはパンフの中で

「このような災難が二度と起こらないよう、今こそ御本仏大聖人の教えにしたがい、邪宗・謗法を捨てて、南無
妙法蓮華経の正法に帰依していくべきです。」

と述べているが、これを読んだ世間の人々は何と思うであろうか。

 おそらく、〃この宗教に帰依しなければ、また大震災が起こる〃と、民衆の恐怖をあおり立てる〃恐ろしい
 カルト的な宗派〃と感じるだろう。

 たしかに、大聖人は『立正安国論』の中で災害の原因を「世皆正に背き人悉く悪に帰す」と述べられている。

 しかし、ここで一番肝心なことは、一体、何が「正」で、何が「悪」なのかということである。そこを明ら
 かにしなければ、かえって、人びとに誤解を与え、大聖人の仏法を下げてしまうことになる。


●民衆の自立を阻む教えを説く僧こそ「悪」

 「法華経」の偉大さは、凡夫の生命の中に、最高の可能性とも言える仏の生命が具わることを明かしたこと
 である。決して、特別な存在に依存するのではなく、自らの生命の可能性を開いて宿業を転換していく。そ
 して、自分自身が自立した生き方をするだけでなく、他者にも自立の道を教えていくという菩薩の生き方を
 説いているのが「法華経」である。

 ところが、大聖人の時代の僧らは、衣の権威を振りかざし、人びとを僧や寺院に依存させる教えを説いて、
 供養を搾取していた。僧侶が民衆の自立を阻み、権威や恐怖で支配しようしていたのだ。だからこそ、大聖
 人は「悪侶を誡めずんば豈善事を成さんや」と喝破されたのだ。

 すなわち、大聖人が示された「正」とは、民衆の自立を説く哲理であり、「悪」とはその逆に民衆を隷属し
 て利用する教えであり、それを説く悪侶である。


●大聖人を迫害した者たちと、同じ側にいる日蓮正宗

 大聖人は「日本国の一切衆生に法華経を信ぜしめて仏に成る血脈を継がしめんとするに」と仰せのごとく、
 民衆の一人一人が「法華経」に説かれる自立の哲学を実践できるように、御本尊を顕わされた。

 そしてその結果、「還つて日蓮を種種の難に合せ」と続いているように、民衆の自立を厭う者たちから迫害
 されたのだ。

 当時の僧らは〃僧や寺に供養すれば功徳がある〃と説き、民衆を弱い立場に貶めていた。そのような時代の
 中で、大聖人は〃南無妙法蓮華経と唱えれば、誰でも成仏できる〃と説いたのである。だから、他宗の僧ら
 は〃そんな教えが広まれば、僧や寺に供養する者が減ってしまう〃と恐れたのだ。

『法華経勧持品』に出てくる僣聖増上慢の特徴にも「利養に貪著するが故に」「此の諸の比丘等は利養を貪ら
んが為めの故に」と、供養に執着する悪侶の本質が説かれている。

 今の日蓮正宗も全く同じ姿である。例えば、彼らは江戸時代の檀家制度を現代に復活させたように、〃僧侶
 の引導がなければ成仏できない〃などと信徒を脅す。彼らは、僧侶を通さないと成仏できないと、常に信徒
 と本尊の間に立ちはだかろうとする。

 彼らが創価学会の「友人葬」を非難するのは、僧侶の仕事を奪われ、供養がなくなることを恐れているから
 だ。だから、彼らは常に〃在家の分際で〃と、僧俗差別を説いて、自分たちの権威を守ろうとする。


●民衆を卑下する日顕ら悪侶こそ「一凶」

 どの時代でも、常に民衆を苦しめてきたのは、〃悪しき権威〃と〃理由なき差別〃である。
 宗門問題の本質も同じである。日顕は法主の権威で信徒をひれ伏せさせようとし、歯向かう者を容赦なく切
 り捨てた。

 民衆を〃ボンクラ〃と呼んで蔑み、創価学会の未曾有の広宣流布の運動に感謝することもなく、逆に「ワシ
 が許可をしてやったんだ」と増上慢の暴言を吐いた。

 日顕の本質は、まさに〃悪しき権威〃と〃差別〃であり、禁じるべき「一凶」なのだ。

 今、「法主絶対」を説く宗門の僧侶は、法主を絶対化することにより、自分たちもそこに連なる存在として、
 衣の権威を作り上げている。すなわち、自分の身を守るために法主を利用しているに過ぎない。


 彼らの目的は金銭の供養であり、信徒から供養を搾取するために僧俗差別を説き、権威で抵抗を防いでいる。
 そういう意味では、日蓮正宗そのものが悪侶の巣窟であり、民衆を苦しめる「一凶」となり果てているので
 ある。(編集部)
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